タマが目覚めた頃に…………と思っていたのに、結局病院に戻れたのは11時近かった。
病棟は最小限の明るさだけを残し、廊下も静まり返っている。
タマもたぶん寝ているだろうから、顔だけみて帰るつもりだった。
タマがいる特別室の前に立ったとき、中からわずかだが、声が聞こえる。
「坊っちゃんに…………」と、
聞こえたような気がして、ドアを開ける手を止めた。
ほんの少しだけ開いた部屋の中から、タマの声が漏れてくる。
「今日は何時まで病院にいるんだい?」
「…………。」
「ちゃんと食べてるかい?痩せたように見えるよ。」
「…………。」
タマと話す相手の声は雲って聞こえないが、心配する声から、親しい仲だとわかる。
「坊っちゃんには会わないつもりかい?」
タマのその言葉に眉間にシワがよる。
俺の知ってるやつか?
そう思い扉を開けようとしたとき、
「坊っちゃんに会わないように、こんな遅くに患者のところにくるなんて、ダメな医者だね。
担当も変わったそうじゃないか。
あたしは、つくしに診てもらいたくてこの病院に来たんだよ。」
と、タマが言った。
つくし……
久しぶりに聞いたその名前。
今、タマと話してるのはまさか、あいつなのか?
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薄暗い廊下に置かれた長椅子に座り、数年前のことを思い出す。
牧野が高校を卒業した年、あいつは別の大学の医学部に進学した。
俺は学業と仕事を両立させながら将来は牧野と過ごすことを夢見て ババァの下で文句も言わず働いていた。
そんな順調に交際を進めてきた俺たちに問題がぶち当たった。
道明寺HDの経営陣の引き抜き、裏切り、汚職が相次いで発覚し、経営が一気に窮地にたたされたのだ。
今思えば一時的なもので、すぐに信用も回復し、株も安定したのだが、ババァはそれだけでは安心できなかったようで、俺をビジネスの駒に使いやがった。
政略結婚。
しかも、相手は……大河原滋。
牧野の親友だった。
偶然知り合った二人は、桜子、優紀と共に、いつも一緒にいる親友だった。
そんな二人が政略結婚の話を機に、複雑な関係へと変わり、牧野がそんなことに耐えられるはずもなく、
俺たちの関係は……終わりを迎えた。
別れ話をする牧野に、
「ふざけんなっ、俺はおまえが好きなんだよ。
政略結婚なんてしてたまるかっ!」
そう叫んだとき、
あいつは悲しげに言った。
「好きでも、どうしようもないこともある。
あたし、相手が滋さんだから諦めるんじゃないの。
たとえ、今回の話が無かったことになっても、またいつかは相手を変えて出てくる。
そして、その相手は…………絶対に……
あたしじゃない。」
このとき思い知った。
道明寺財閥の跡取りとして生まれた俺は、
愛する女を目の前にしても、
会社や従業員のことを考えると、自分の気持ちを圧し殺すしか出来ない定めだということを。
結局、道明寺と大河原の婚約話がマスコミで連日賑わうなか、ひっそりと俺たちは別れを選んだ。
今から、6年も前のこと。
この6年、必死に思い出さないようにしてきた。
がむしゃらに前だけを向いてきた。
怖かったんだ。
牧野のことを思い出せば、過去に戻りたくなる。
たとえ戻っても、あいつと一緒にいられないのなら、なにもかも虚しくなる。
そうしたら、俺は生きることさえ、
辛くなるだろう。
だから…………、
そう思ったとき、タマの部屋の扉が開き、人影が現れた。
俺が座ってる椅子とは逆方向へと歩いていく姿は、間違いなく牧野だった。
今ここで声をかけたら、俺の6年間の苦労は水の泡。
やっと吹っ切った想いを今更戻すことはない。
聞かなかったことにしよう、
見なかったことにしよう、
このままじっと我慢しよう。
心で何度もそう言い聞かせたのに、
俺の口は勝手に開きやがる。
「…………牧野。」
「…………。」
「牧野っ!」
「…………道明寺?」
6年ぶりに聞くその声に、全身が震えた。
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