My teacher 35

My teacher

バレーの試合が終わり家に着いたのは6時を過ぎていた。
一日中声を出して身体を動かしていたから、もうヘトヘトだ。
帰り道に寄ったお弁当屋さんで買った夕食を食べ、お風呂に入り、9時にはベッドの上にゴロンと横になる。

目を閉じたら10秒で寝むれる。
それくらい疲れていたけれど、寝る前に声が聞きたい。

半分閉じた目で、携帯を操作し電話をかけると、
「どうした?」
と、すぐに聞きたかった声が返ってきた。

「今日は応援に来てくれてありがと。」

「おう。相変わらず生徒たちに遊ばれてんな、おまえは。」

「男子校の生徒なんて、そんなもんでしょ。」

あたしがそう答えると、クスッと道明寺先生が笑う声がして、その心地よさに瞼が重たくなってくる。

「牧野?」

「……ん?」

「寝てるのか?」

「んー、大丈夫。寝て…ないよ。」

昨夜のように道明寺先生の腕の中に包まれているような心地良さ。
完全に目が閉じかけたあたしに、道明寺先生が言った。

「来週、NYに戻ることになった。」

その言葉に、あたしの瞼が大きく開く。

「来週?」

「ああ。
牧野、大丈夫だよな?」

「…何が?」

道明寺先生が何を言いたいのか分からないあたしは、ベッドの上に寝転がりながら頭を傾ける。

「また3年前みたいに不安になったりしねーよな?」

そういう事か。
それなら、もちろん、

「大丈夫。
今度は、絶対大丈夫。」

自信を持って言える。

「ったく、また別れ話なんかしたら、許さねーからな。」

「ん。」

「遠距離でも、他の男にキョトキョトすんじゃねーぞ。」

「…わかって…る。」

再び、あたしの瞼が重くなってくる。
もう、眠さの限界かも。
だから、今日もちゃんと言っておきたい。

「道明寺…先生。」

「ん?」

「…好き。」

「……。」

「眠さの…限界なの。だから、」

「寝る前に、もう一回。」

「…ん?」

「もう一回、言えよ。好きって。」

こんな俺様な態度で愛の告白を要求してくるあたしの彼氏。
それでも、あたしは何度でも答える。

「好き、です。」

……………

3週間の日本滞在を終えて、NYに戻ってきた。
こっちの生活ももう4年目になる。

秘書の西田に3週間ぶりに会うと、
「何かいい事でも、ありましたか?」
と、じっと俺の顔を見て言いやがる。

「別に。」

「いつもより表情が穏やかですけど。」

朝から牧野と電話で話してきたから…なんて言えねぇけど、
でも、自分でも自覚している。
油断すると顔が緩む事を。

そんな俺に、西田が思いがけない事を言った。

「今日の午後、早乙女様がいらっしゃるそうです。」

「あ?姉ちゃんもか?」

「いえ、お一人で。」

早乙女…義理の兄の名だ。
NYに来ている事も知らなかったが、わざわざ一人で俺のオフィスに来る用はいったい…。

それから、数時間後。
俺はオフィスで義理の兄と久しぶりの再会を果たした。

最後にあったのは今年のババァの誕生日だろうか。
実家の旅館の立て直しに忙しい彼は、年末年始もゆっくりと過ごす暇がない。

そんな義兄が
「仕事中に申し訳ない。」
と、オフィスに入ってきて相変わらず優しい顔で笑う。

「NYに来てたんですか?」

「うん、ちょっと仕事でね。」

「姉ちゃんは?」

「すぐそこのカフェにいるよ。
一緒にここに来たいって言ったんだけど、僕が司くんと2人で話がしたいからって、待っててもらってる。」

俺と2人で話したい…。
姉ちゃんとの仲で、何か問題が起きたのだろうか。
あの男勝りの姉なら愛想を尽かされてもおかしくない。

そんな事を頭の中で思っていると、義兄がそれを察知したのか、
「椿とはうまくやってるよ。
僕には勿体ないくらいいい奥さんだから安心して。」
と、いたずらっ子のように笑う。

「それは良かった。
じゃあ、2人で話したい事っていうのは?」
ソファに座り、義兄を正面から見つめて聞く。

すると、義兄が言った。
「ようやく、道明寺HDに戻る準備が出来た。」

「…実家は?」

「弟が継ぐ事になった。
父親も幸い病気の発見が早かったから、だいぶ回復したんだ。
旅館の経営状態も上向きになったし、そろそろ俺は手を引いても大丈夫かと思う。」

「そうですか。
うちの母親にはもう言ったんですか?」

義兄が実家の立て直しに戻ると言った時、ババァとは3年間と約束していたはずだ。
ババァも、まさかきっちり3年で義兄が道明寺財閥に戻ってくるとは思っていなかっただろうけれど、期限を決めるほど、それほど彼の帰りを待っていたと言っても間違いではない。

「まだ、言ってないんだ。」

「ババァは喜びますよ。
早乙女さんが戻ってきてくれるのを心待ちにしてますからね。」

そう笑いながら言う俺の表情とは反対に、義兄の表情は固い。
そして、
「司くんは、どう思っている?」
と、俺に向けてそう聞いた。

「…どうって?」

「僕が道明寺HDに戻る事を、司くんはどう思う?
正直に話して欲しい。」

真剣にそう言う彼に、俺は少し間を開けた後、姿勢を正して言った。
「何が聞きたいですか?」

「司くんの本音が知りたくて、今日は一人でここに来たんだ。
3年前、道明寺HDを投げ出して実家の立て直しに戻った僕のせいで、司くんは教師を辞めたよね?
あの時、あんなことがなければ、今でも君は先生として教壇に立っていたはずだ。
そして、今また、僕が道明寺HDに戻ると言ったら、司くんはどう思う?
今更か?都合のいい話だって思うよな?
もう、十分君一人で社長を支えていけるのなら、僕が戻る必要は……」

ババァのところに行く前に、俺の本音を確かめてから行く。
義兄はいつもそういう男だ。

ギクシャクしていた俺の家族の中に、突然ポーンと現れて、潤滑油のようにみんなの間をスルスルと動き回る。
冷たい空気が漂っていた道明寺家もいつからか会話が増え、無数に刺さっていた見えない小さなトゲがどんどん抜けていくかのように、家族に対する痛みや寂しさが俺の中から消え去った。

そして、今もまた、義兄はババァと俺と姉ちゃんの狭間に立って、大きなトゲが刺さらないように守ろうとしている。

一人、思い詰めたように俺の顔を見つめる義兄に、
俺はクスッと笑いながら言った。

「決めるのは、ババァでも俺でもなく、早乙女さん自身だ。
あなたが1番好きな仕事は何か…判断基準はただそれだけ。」

それは、まるで自分に言い聞かせるかのような言葉だった。

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