それから更に2週間。
専務の忙しさは変わることなく続いている。
秘書課でも
「専務、大丈夫ですかね。
ここ1ヶ月は全く休みなし、帰りも22時過ぎですよ。」と心配の声があがるほどだ。
でも、どんなに専務が忙しくても、あたし達社員はサラリーマンの身。
秘書課は西田さんも例外なく、週末は休みが割り当てられている。
週末にパーティーや会食が入っている場合は、西田さん以外の社員が専務に同行することもある。
秘書課のホワイトボードに視線を移すと、今週の土曜日の会食の欄に『牧野同行』という文字が。
そう、今週はあたしの順番。
久しぶりに専務とのお仕事なのだ。
……………
土曜日当日。
会食は夜遅くまでかかるので、昼からの出勤。
普段通り仕事をこなし、オフィスで早めの夕食を軽く食べたあたしは、身支度を整え専務のオフィスへと向かった。
専務と顔を合わせるのは久しぶり。
西田さんに遠回しに『専務に近づくな』と言われて以来、あたしは自分の言動に細心の注意を払っている。
専務にも自分にも他人にも誤解を与えない行動をと。
コンコン。
専務のオフィスの扉をノックすると、返事の代わりに専務自身が姿を現した。
「お時間です。」
「おう。」
間近でみる専務は、疲れているはずなのに相変わらず完璧で隙がない。
エレベーターに乗り込みながら腕時計を付ける仕草は、世の女性を虜にするのは間違いない。
けれど、あたしはそんな専務から視線を逸らしエレベーターボタンをじっと見つめる。なるべく、専務とは距離をとって行動しよう…と思っているからなのに、
「久しぶりだな。」
と、あたしをガッツリ見てくるこの人。
「そ、そうですね。」
「おまえさ、最近、野上部長に付いてるらしいな。」
「はい。」
「あいつ、気を付けろよ。女癖わりぃーから。」
「えっ?」
「取引先の受付嬢の名前はすべて手帳にメモってるらしいぞ。ダチがホテル街で○○商事の受付嬢と野上を見かけたって。」
「ええっー、ありえないっ!野上部長は愛妻家ですよ。」
「表向きはな。」
「……。」
「少しでも変な動きされたら、すぐに俺に言えよ。
野上の担当から外してやるから。」
専務のその言葉と共に、エレベーターの扉が開きあたしは我に返る。
もう、何やってるのよ!
上司と部下の境界線をきっちり引くことにしたはずなのに、この人と話しているとなぜかすぐに二人でいる時の間合いで話してしまう。
バカバカバカっ、と自分の頭を叩きながら、
『しっかり仕事せいっ!』と身を引き締めた。
……………
会食がおわったのは21時を過ぎていた。
車に乗り込んだ専務は、右手でこめかみを押し目を閉じている。頭痛でもするのか…。
車が発信したあとも黙ったままの専務に、あたしは秘書として声をかける。
「お疲れ様です。大丈夫ですか?」
「ああ。」
「このまま邸の方に戻ってもよろしいですか?」
「おう。」
その会話の数分後、
「おまえは?もう仕事終わりだろ?」
と、あたしを見て聞いてくる。
「…はい。」
「なら、おまえの家の方が近いから先に下ろしてやる。」
思いがけない言葉に、
「えっ?いーです、いーです!」
と、焦るあたし。
そんな事をしたらまた西田さんに怒られてしまう。それなのに、専務はシートの横にある受話器を取ると運転手さんに、
「今から言う住所に行ってくれ。」
と言い、あたしのマンションのある住所を伝える。
受話器を置いた専務に、
「専務っ、困ります!」
と、慌て言うと、
「どーせ、邸に行ったあとはタクシーで帰るんだろ?経費削減だ。」
と、最もらしいことを言われ黙るしかない。
「西田さんに怒られます。」
「そんなに怖ぇーのかよ、あいつ。」
「あいつって!
秘書としての仕事のルールっていうのがあるんですっ。専務を送り届けるまでがあたしの仕事なのに…。」
「フッ…、もう22時だぞ。秘書としての仕事は終わりでいーんじゃねぇ?」
「……」
確かに、今日は午後からずっと働き詰めだった。20時には終わると言っていた会食も1時間押しで長引いた。
本来なら、もう家でゆっくり寛いでいる時間だったはず。
でも、疲れたとはいえ、専務の連日の激務はこんなもんじゃない。疲れているのはこの人の方。
「専務、大丈夫ですか?」
「あ?」
「最近、休んでないですよね。
さっきも頭が痛そうでしたし…」
心配になって思わずそう聞くあたしに、
「心配してくれてんのかよ。」
と、からかうような目で見つめる。
「し、心配って、もちろん秘書課のみんなが心配してますよ。」
「おまえも?」
「へっ?」
「おまえも俺の事心配してくれてんの?」
暗い車内でも分かる。
専務の目が仕事の時とは違うことを。
慌て視線を逸らしながら、
「専務が倒れたら大ニュースになりますから。」と言って窓の外を見る。
「倒れねーよ。
今日で少し疲れが飛んだから。」
「…今日ですか?」
確か、今日も専務のスケジュールは盛りだくさんだったはず。
何か疲れが飛ぶような事が入っていたかな?と思った瞬間、
「おまえに会えたから。」
と、心臓が止まるような事を言う。
「え?」
「西田に死ぬほどスケジュール詰め込まれて、朝起きるのもすげぇー辛いのに、今日はアラームよりも先に起きた。
おまえと会えるって思ったら、辛くねーの。なんだよこれ、こんな時間まで仕事してんのに、疲れよりも嬉しさが勝つって、マゾヒストかよ俺は。」
ポンポンと飛び出してくる単語に、あたしの頭が追いつかない。
「牧野、もう少しパワーをくれよ。」
そう言って、あたしに顔を近づけてくる専務に、ようやく我に返るあたし。
「ちょっ、ちょーと、バカっ変態!」
言った後に、あたしは自分の口を手で覆う。
どうしよう。運転手さんに聞こえたかもしれない!
そんな心配を察知した専務は、
「聞こえねーよ。防音になってるからな。」
と、前席と後部座席を隔てる壁をコンコンと叩いてみせる。
それなら、もうここできちんと言わせて貰うしかない。
「専務っ、こういうのやめてください!
あたしっ、本当に困ります。」
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