『幸せになって』
昨日あいつから言われた別れの言葉が、何度も何度も頭にリピートする。
オフィスのデスクで一晩一睡もしないで過ごしたのははじめてだ。
出勤してきた秘書の西田がそんな俺に一瞬驚いた顔を向けたが、すぐにいつもの冷静さな声で、
「副社長、今日の予定を申し上げます。」
と、通常モードに戻し、今日のスケジュールを告げていく。
「………午前中は以上です。午後からは一時より……」
「西田」スケジュールを述べている西田を止める
「はい?」
「わりぃ。……今日だけ休ませてくれ。」
「副社長?」
「頼む…………」
そう言ってデスクに肘をつき、頭を垂れる俺。
どうしたって、今日は仕事になんねーかも。
ふっ、今日は……って、明日だって、明後日だって、この状況は変わんねぇのに。
ゆっくりと目を閉じる。
俺は少しでいいから現実から逃げたかった。
それでも、諦めきれねぇ俺は、毎日牧野に電話した。
何度電話しても留守電であいつが出ることはなく、
一週間後には「現在使われておりません」と無機質な声に切り替わった。
二週間後、いるはずのない場所でもあいつを探してる自分がいる。
三週間後、夢に何度もあいつが出てきて、夢の中でも…泣いている。
そして、一ヶ月後、
牧野を失って、完全に俺の世界から色が消えた。
何ヵ月も会わなくても平気だった俺が、もう牧野を想うことを許されなくなっただけで、ここまでダメな男になるとは自分でも思ってなかった。
別れから一ヶ月半後、マンションに姉ちゃんが来た。
「司~、つくしちゃんと別れたんだって?」
「別れてねぇーよ」
「嘘つくな。類くんから聞いたんだから」
「俺は認めてねー」
「へー、振られたんだ。」
「うるせー」
「あんたはっ、姉に向かってその口の聞き方は」
そう言って自分のちっせーかばんをブンブン振り回す姉ちゃん。
「あぶねーなっ」
「あんたが落ち込んでると思って、慰めに来てあげたの。」
「ほっとけ。」
いつものノリで言い合う俺たちだけど、姉貴にはバレバレだと思う。俺がすげー落ちてるのが。
「もしかして、ダリィのことが原因?」
「ちげーよ。…たぶん。」
「もっと酷い浮気でもした?」
「するわけねぇーだろっ!」
フフフ、そーだよね。このつくしちゃん命のバカがね……って笑ってる姉貴が爆弾を落としてきた。
「つくしちゃんに電話してあげようか?」
「なんで姉ちゃんが知ってんだよっ」
「え~秘密ぅ。あんたよりつくしちゃんに近い存在ってことかしら?」
言ってることはムカつくが、否定できない。
「教えろよ、番号」
「それはだめ。」
「なんでだよっ。」
「つくしちゃんが望まないと思うから。
でも、ダリィの事が原因で誤解してるなら、私にも責任があるし……。だから、私からつくしちゃんにちゃんと話すから。」
「今ここでしろ。」
フフフ、あんた声が聞きたいんでしょー、しょーがない弟だわねーって、グダグダ言ってるのを無視して、目の前で牧野に電話をさせる。
覗かないでよって、番号を隠すのを忘れない姉貴は、敵か味方かわかんねー奴だ。
「あっ、つくしちゃん?椿だよー。
今話しても大丈夫かしら?
久しぶりね。元気だった?」
俺の目の前でどーでもいい挨拶を長々してる姉貴に、ジェスチャーで『音をスピーカーにしろ』と、伝えると、キッと睨みながらもスピーカー音にしてくれる。
一ヶ月ぶりに聞く牧野の声。
相手が姉貴だからか、少しきんちょーした声で敬語まじりだ。
「つくしちゃん、司と別れたの?」
「……はい。」聞きたくねぇ。
「もしかして、ダリィが原因?」直球で聞く。
「ダリィ…?あっ、お手伝いさんですか?」
「そう。司のマンションの。ごめんね。」
「違います、違います!どーしてお姉さんが謝るんですか!」
「つくしちゃん、ダリィのことは誤解よ。
ダリィは私が連れてきたメイドなの。
司は若い女は絶対やだって言い張ったんだけど、ダリィにも事情があって…。
ちょっと深刻な病気を抱えてて、司のマンションに近い病院に通院してるのよ。だから、毎日通える司のマンションが都合良くて、それにお金も必要だったから。
元々、わたしの邸で働いてた子で、性格もいいし、仕事も出来るし、何よりあの子若いのに結婚してるのよ。ラブラブな旦那様はうちの邸の運転手よ。
だから、つくしちゃんが心配してるようなことは無いの!」
「わかってます。
ダリィから聞いてます。」
その言葉に俺も姉貴も驚いた。
「この間、NYに行ったとき道明寺が帰りが遅かったので、ダリィと二人で過ごしたんです。
その時旦那さんのことも聞いてます。」
「そうだったの。なら、どーして?
どーして司と別れることになったの?」
「…………そもそも私たち、もう付き合ってるような関係じゃなかったんです。」
「どーいうこと?」
「ここ2年くらいは、私たちほとんど会ってなかったし、実際お互いのこと何も知らなかった。私たち変わっちゃったんです。
ダリィのことも、はじめは誤解しました。
でも、ダリィから話を聞いて誤解は解けたけど、……逆にもっと苦しかった。
昔のあいつなら、あたしの事を大事に思ってくれてた頃のあいつなら、あたしやF3が誤解するような態度は絶対しなかったと思うんです。
でも、道明寺はそれに気づいてない。
それが答えだと思います。
わたしの事はもうなんとも思ってないんだと感じました。」
「つくしちゃん…………」
「それに、道明寺だけじゃないんです!
あたしも同じ。
年々、道明寺と距離が遠くなるにつれて、いつ別れが来てもいいように準備する自分がいて……バカですよね。
一人で生きていっても困らないように、OLもやめて教員試験をうけて、先生にもなったんです。
私も道明寺と同じで、もう道明寺がどう思うか、何て言うか…なんて考えなくなってた。
あたし、NYに行って最後にあいつに会って、確かめたかったんだと思います。」
「なにを?」
「私たちがもうお互いに『特別な存在』じゃないってことを。」
「つくしちゃん……」
「お姉さん、あたし道明寺にも言ったんですけど、……あいつには幸せになって貰いたいんです。
あたしも…………幸せになるから。」
俺は牧野の話を聞いて、立ってることが出来なかった。
胸が苦しくて、苦しくて、どーしようもない感情に押し潰される。
いつの間にか電話を終えた姉貴が床に座り込む俺のそばに来て、軽く頭を殴った。
「バカな弟。バカでバカでどーしょもないわ。
後悔してんでしょ。
…………泣くな、バカ弟。」
こんどは優しく頭を撫でた。
その姉貴の言葉で、俺は気付いた。
俺は…………泣いていた。
苦しくて、苦しくて、どーしようもないほど胸が痛くて…………、
あいつに会いたくて……泣いていた。

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