「……なんで交換しちゃったんだろう」
翌朝、目を覚ましたあたしは、枕元のスマートフォンを手に取ったまま小さく息を吐いた。
画面には、昨夜新しく登録した名前がある。
――道明寺司。
何度見ても、自分の連絡先にその名前があることが妙な感じだった。
刑事が、事件を通じて知り合った人間と個人的に連絡先を交換する。
事件はすでに自分の手を離れているとはいえ、褒められたことではない。
しかも相手は道明寺司だ。
一度は断った。
それなのに結局、自分からスマートフォンを取り出してしまった。その失態にもう一度布団をかぶり頭を抱える。
「……削除しようかな」
そう呟いて、画面を見つめる。
今ならまだ何も始まっていない。
けれど、削除の文字を前にして、指は動かなかった。
「……まあ、連絡先くらいならいいか」
誰に言い訳しているのか自分でも分からないまま、あたしはスマートフォンを閉じた。
その日の午前中。
あたしはいつも通り仕事をしていた。
道明寺司から連絡が来るとは限らない。
むしろ来ない方がいい。
そう思っているはずなのに。
机の上のスマートフォンが震えた瞬間、反射的に手が伸びた。
画面を見る。
通販サイトからのメールだった。
「……はぁ。」
「牧野」
少し離れた席から声が飛んできた。
顔を上げると、桂木警部補がこちらを見ている。
「はい?」
「さっきから何だ」
「何がですか?」
「携帯」
あたしは思わずスマートフォンを伏せた。
「携帯が何ですか」
「ひっきりなしに見てるだろ」
「えっ、見てませんよ。」
「誰かから連絡待ってんのか?」
「待ってません!」
思った以上に大きな声が出た。
近くにいた後輩の山本がこちらを見る。
「今日の牧野先輩、なんか変ですよ。」
「変ってなによ、変って……。」
あたしは後輩をギロリと睨んだあと、机の上の書類へ目を落としたが、心の中で叫んでいた。
何やってんのよあたしっ。仕事に集中しなさいよ!
そうして、意地でもスマートフォンには触れないよう、かぎのかかるロッカーの中へと葬った。
…………
結局、その日は何も来なかった。
翌日も。その翌日も。
最初は、それでいいと思っていた。連絡先を交換しただけだし、彼だって深い意味なんてなかったのだろう。
でも、日が経つにつれ、なんだか腹立たしさと恥ずかしさが入り混じってきた。
最近の若者はこういうものなのだろうか。連絡先を交換したからといって、すぐに何かしらのアクションを起こすわけではないのか。
大学を卒業してから、プライベートで男の人と関係を築いたことなんて一度もない。
だから、こういうときの〝普通〟が、あたしにはよくわからない。
……いや、そもそも。
あの人からの連絡を気にしている時点で、あたしは何かがおかしい。
相変わらず、携帯に通知はない。
別に待っているわけじゃない。
あれだけ強引に連絡先を聞いておいて何もないから、気になっただけ。
それだけだ。自分に何度もそう言い聞かせた。
……………
次の日の夜。
仕事を終え帰宅し、コンビニで買ってきた夕食をテーブルに置いた。
そのとき、スマートフォンが震えた。
画面を見る。
――道明寺司だ!
『今日も遅いのか』その1文だけのメッセージ。
「……何よ、これ」
思わずそれを見て呟くあたし。
数分その文字を見つめたあと、
『今帰ったところです。』
と、まるで業務連絡のような言葉を送信した。
すぐに既読がつく。
そして間もなく、もう一度スマートフォンが震える。
『飯、食ったか?』
目の前には、コンビニで買ったおにぎり。
「今から食べるところです。」
「今日の飯は?」
そう聞かれると、コンビニのおにぎりがなんだか虚しく感じられて、少しだけ見えをはってしまった。
「同僚と一緒にファミレス。」
そう嘘をつくと、
「今日はコンビニじゃねーんだな。」
と、小さな絵文字とともに返ってきた。
…………
その頃、道明寺邸では、
自室のソファに座り、約30分もスマートフォンを睨んでいる俺。
画面には、数日前に登録した女刑事の名前。
何度か文字を打っては消していた。
『今度飯でも行かねぇか』
消す。
『仕事終わったか』
それも消す。
『何してる』
「……気持ち悪ぃな」
そう呟いて。また消した。
「坊ちゃん」
その声に顔を上げると、タマが立っていた。
「なんだ」
「先ほどから三十分も、ブツブツとなにか言いながら同じ画面をご覧になってますよ。」
「……見てねぇ」
「悩み事ですか?坊ちゃんにしては珍しい。」
俺はもう一度画面を見る。
そしてようやく意を決して
『今日も遅いのか』と送信?
ほどなくして既読がついた。
『今帰ったところです。』
その文字を見た瞬間、俺の口元が緩んだ。
「返信があったようで何よりです」
「タマっ、まだいたのかよ!」
ニヤリと笑いながらタマが部屋を後にした。
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