三か月後。
その日の夜、俺は六本木にある会員制のバーにいた。
向かいには類、総二郎、あきら。
俺から三人を飲みに誘ったのは、ずいぶん久しぶりだった。
普段なら、誘われても断ることのほうが多い。たとえ顔を出したとしても、長居できる事はほとんどない。
それが今夜は、俺のほうから連絡を入れたのだ。当然、こいつら三人が何も感じないはずがない。
「それにしても、お前から誘ってくるなんて珍しいな」
グラスを傾けながら、あきらが言った。
「仕事で何かあったのかと思ったが、そんな顔でもねぇしな。かといって機嫌がいいわけでもない。ますます気になる、そろそろ白状したらどうだ?」
「何もねぇよ」
俺は短く答え、ウイスキーを口に運んだ。
嘘ではない。
少なくとも、仕事上の問題は何もなかった。
海外との大型契約も予定どおり進んでいる。社内で大きな揉め事が起きたわけでもない。俺が直接動かなければならない案件も、この3ヶ月はなかった。
だからこそ、ここ最近何度も同じ女の顔が浮かんで離れない。
三か月前、偽物の道明寺司を巡る事件が解決してから、あの女刑事とは一度も会っていない。
警察署に置き忘れたコートを邸まで届けに来た、あの日が最後だった。
もちろん、あれから連絡を取る理由もないし、事件が終われば、刑事と関係者の間に残るものなど何もない。
それは当然のことなのに…、ふとした瞬間に思い出す。
俺はどうしちまったのだ。
執務室で書類に目を通しているとき。
車の窓から警察署が見えたとき。
街中で颯爽と歩く女を見かけたとき。
そのたびに、俺はあの女刑事を思い出すのだ。
「なあ、司」
総二郎が、探るように俺を見る。
「俺たちはガキの頃からお前を見てきたんだ。お前が何もないのに俺たちを呼び出して、黙って酒を飲み続けるような人間じゃないことくらい分かってる。会社の問題じゃないなら、残る理由はそう多くねぇ。まして、お前が自分でも整理できてないような顔をしてるとなれば、たぶん金や仕事の話でもない」
司は答えなかった。
総二郎は、そこで一度グラスを置いた。
「女だろ」
一瞬、俺の指が止まった。
わずかな反応だった。
だが、三人にはそれで十分だったらしい。
あきらが驚いたように眉を上げ、類は眠そうに細めていた目を開けた。
「まさか、本当に女なのか」
あきらの声には、隠しきれない面白さが滲んでいる。
「これまで女に言い寄られて困ったことはあっても、お前のほうが悩んで俺たちを呼び出すなんて一度もなかっただろ。相手は誰だ? 仕事関係か、それともどこかの令嬢か?」
「そんなんじゃねぇ」
俺は即座に否定した。
「じゃあ、どんな女?」
類が静かに尋ねた。
「……別に、どんな女でもねぇ」
そう答えながら、またグラスに口をつけた。
自分でも整理がつかないことを、こいつらにどう説明すればいいのか分からない。
それを察したのか、3人も目配せしたあとそれ以上は深掘りしない。
それからそれぞれが更に1杯グラスを空けた頃、あきらが言った。
「司、話してみろよ。」
その言葉に総二郎も頷きながら言う。
「別に俺たちは、お前をからかうためだけに聞いてるわけじゃない。お前が誰かを気にしてるなら、それ自体は悪いことじゃねぇだろ。ただ、こんなに口にすることを迷うのは、相手が理由か?まさか、不倫とかじゃねーだろうな。」
司は眉を寄せた。
三人は黙って待っている。
こうなれば、何も言わずに済ませるのは難しそうだった。
俺は大きく息を吐くと、背もたれへ身体を預けた。
「……刑事だ」
「刑事?」
「三か月前の、偽物の件を担当してた女刑事だ」
しばらく沈黙が流れた。
あきらと総二郎は顔を見合わせ、類だけが納得したように小さく頷いた。
「まだ会ってたのかよ。」
あきらに尋ねられ、俺は首を横に振りながら「いいや。」と答えた。
「連絡先も知らねぇ。事件が終わったんだから、会う理由もねぇ。それなのに、ずっと頭に浮かんできやがる」
一度口にすると、溜め込んでいた言葉が勝手に続いた。
「なんなんだよ、これは。」
「ぷっ、まじかよ司。それは完全に恋に落ちたってことだろ。」
「落ちる要素がねえ。」
「あー、まぁ、確かに。なんの特徴もない女だったような気もする。」
女刑事と面識があるあきらがそう呟く。
「道明寺の名前を聞いて態度を変えることもなければ、俺に気を遣うこともねぇ。平気で睨むし、説教までしてきやがる。今まで会った女とは、何もかも違う。」
三人は黙って俺の顔を見つめる。
自分でも、何を言っているのか分からなくなって、急に恥ずかしさが込み上げる。
「別に、会いてぇわけじゃねぇ。ただ……突然頭に浮かぶっつーか」
その言葉に、総二郎が小さく笑った。
「それを世間では、会いたいって言うんじゃねぇのか」
「……。」
「まあ、今はそれでいいんじゃない」
類が静かに言った。
「司が自分で分からないなら、無理にその感情に名前なんかつけなくてもいい。ただ、俺たちが知ってる司は、数回会っただけの女を三か月も忘れられない奴じゃないよね。」
俺は返事をしなかった。
まだ、認めたくはなかった。
だが、否定する言葉も出てこなかった。
店を出ると、湿り気を帯びた夜風が頬を撫でた。
迎えの車が到着するまで少し時間があると西田から連絡が入り、司は店の前で三人と別れた。
「じゃあな。女刑事によろしく」
総二郎が最後までからかうように言い、あきらとともに歩き去っていく。
類は俺を見て、わずかに笑い、
「案外、すぐ会えるかもね」と。
類のその言葉を背に、俺は一人で通りを歩き始めた。
六本木の夜は、日付が変わろうとしている時間でも人通りが多い。
しばらく進んだところで、見覚えのあるコンビニが目に入った。
三か月前。
女刑事と初めてまともに言葉を交わした、あの店だった。
俺は無意識に歩みを緩めた。
ただ懐かしく思っただけだった。
そのまま通り過ぎるつもりで、何気なく店内へ視線を向ける。
窓際のイートインスペース。
そこに、一人の女が座っていた。
少し疲れた様子で背中を丸め、片手におにぎりを持っている。
まとめている髪は少し乱れ、テーブルの上にはペットボトルのお茶が置かれていた。
見間違えるはずがない。
この3ヶ月間、何度も頭に浮かんだ女。
『牧野つくし』
警察署のあいつの机に置かれた名札で知った名前。
つくし。あの女には、不思議なくらいよく似合う名前だった。その名前を思い浮かべるだけで、胸の奥がわずかにざわつく。
そして、その女が今目の前にいた。
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