「俺をこれ以上、怒らせるな。」
そう警告したはずなのに、希美はまるで分かっていなかったようだ。
あの会話から数日後の夜。
時刻は二十時を少し過ぎた頃、道明寺邸に一人の来客があった。
親父の書斎で仕事の打ち合わせをしていると、
扉がコンコンと叩かれ、タマが顔を覗かせた。
俺と親父が並んでいるのを見て、タマは一瞬だけ戸惑ったように眉を動かしたが、すぐに口を開いた。
「旦那様、お客様がお見えです。」
「客?こんな時間に?誰だ。」
「……坂東氏です。」
「坂東……って、あの坂東か?」
「はい。」
道明寺邸を出ていった坂東が、今さら何の用なのか。
親父はしばらく考えたあと、低い声で言った。
「ここに通してくれ。」
タマが軽く会釈して出ていく。
「親父、俺は──」
「おまえもここにいろ。」
親父は書類から目を離さずに
「坂東がここに来るということは、おまえと無関係なはずがない。」と、呟く。
その言葉は間違えていなかった。
書斎の扉が再び開き、坂東が姿を現すと、
俺の顔を見て深々と頭を下げて言った。
「坊っちゃんもおいででしたか。……良かった。」
テーブルを挟んで、俺と親父、坂東が向かい合って座った。
親父が静かに切り出す。
「今日は何の用で来た?」
坂東は少しだけ間を置いてから言った。
「実は……旦那様と司様にお知らせしておきたいことがありまして。石橋家の娘、希美についてです。」
坂東の口から希美の名前が出てくるとは思わなかった。あの女は、俺とつくしを離婚へ追いやった“共犯”のはずだ。
「石橋家の娘がどうした。」
「昨夜、彼女の書斎の前を通りかかった時に、聞いてしまったんです。誰かと電話をしながら、つくしさんの名前を挙げていて……」
そこまで言った坂東は言葉を切り、少し躊躇するように視線を落とした。次に絞り出すように言った言葉が、書斎の空気を凍らせる。
「『事故でも自殺でも構わない』と。」
その一言で、心臓が跳ね上がった。
「それは、まさか希美がつくしを狙ってるってことか?」
「はっきりとは分かりません。でも、あの女ならやりかねません。」
「司、何か思い当たることでもあるのか?」
「…数日前、希美会ったときにカッとなって言っちまった。子供がいるって。」
それを聞いて親父の顔が曇る。
「司、つくしさんに電話しろ。それと、西田に言って、つくしさんに警備を付けるように!」
「ああ。すぐに手配する。」
俺は慌てて書斎を出て、隣の使っていない部屋へ飛び込み、つくしに電話をかける。
ロスはまだ早朝だ。何事もなければ、まだ寝ている時刻。
三コール目で「Hello?」という眠そうな声。ひとまず胸を撫で下ろす。
「つくし、俺だ。」
「司?」
「冬李は?」
「…寝てるけど、」
「つくし、いいから俺の言うとおりにしろ。今からおまえと冬李にボディーガードをつける。外に出るときは必ず同行させるし、家にいる間も見守らせる。」
「ちょ、ちょっと待ってよ!どういうこと?ボディーガードって、映画の世界じゃあるまいし。」
鼻で笑うつくし。
けれど、次の言葉でつくしの笑い声が消えた。
「希美が、おまえたちを狙っているという情報が入った。冬李の存在も把握している。あの女は裏社会とも繋がりがあって、想像以上に危険だ。だから、頼む、俺の言うことを聞いてくれ、つくし。」
できることなら、すぐにでも俺がそばへ行ってこの手で守りたい。でも、今は時間の猶予がない。希美がどんな手を使って狙ってくるか分からないからだ。
つくしとの電話を切ったあと、俺は西田と姉ちゃんにも電話をかけ、事情を説明して、できる限りの手を打つ段取りを整えた。
そして、電話をズボンのポケットにしまい、大きく深呼吸をした、その時だった。
背後に人の気配を感じて振り向くと、そこには険しい顔つきで立つ人物が。
唯一、何も知らされていないババァの姿だった。
「ババァっ」
「……どういうこと?」
小さく呟いたババァの声は、わずかに震えていた。
「まさか、まだあの女と連絡を取り合っているわけじゃないわよねっ!」
「いや、それは――」
「あなた、プライドはないのっ? 男を作って家を出ていった元嫁と、まだ繋がっているなんてっ!」
俺を、冷たく軽蔑のこもった目で見つめるババァ。
もう、俺は限界だった。
何も知らないくせにつくしを悪く言うことも、会社のことしか考えずに希美との縁談を進めようとしていることも。
「それ以上、つくしを侮辱するなら許さねぇ!」
抑えていた声が、気づけば怒鳴り声に変わっていた。
「あいつがどれだけ俺を支えてくれたか、ババァは一度でも見ようとしたか!」
ババァが何か言い返そうと口を開いたが、もう止まらなかった。
「会社も、名誉も、体裁も――全部くそくらえだ!俺は、あいつと息子を守る。」
そう言い放つと、ババァの顔が青ざめていく。
「息子?息子って…どういう事?」
「つくしと俺の子だ。」
「。。。」
その言葉にババァが床に崩れ落ちる。
そのとき、背後のドアが開いた。
「もういい、司。」
低く落ち着いた声。
振り向くと、親父と坂東が立っていた。
「司、そこまでにしろ。楓には……俺から話す。」
親父の声は静かだったが、反論を許さない力があった。
「親父……」
「おまえの想いも、つくしさんの覚悟も、全部分かってる。」
そう言って一歩、ババァに近付くと言った。
「楓、おまえには俺から説明する。」
ババァは蒼ざめた顔で、親父と俺を交互に見つめていた。
その手が震えているのが分かる。
「どうして……あなたまで……?」
親父はゆっくりと息を吐き、そして、優しく微笑みながら言った。
「ようやくおまえに話せるときが来た。」
…………………
それから1時間後。
書斎には俺と親父、ババァ、坂東の四人が顔を合わせていた。
親父からすべてを聞いたババァは、憔悴しきったような、力のない表情をしているが、
「この先は、けじめをつけるときが来た。」
と、俺が静かに放つと、小さく頷いた。
「まず、石橋家との縁談は完全に終わったとマスコミに公表する。理由は、石橋希美の裏の顔だ。
希美はギャンブル依存症の連中を巧みに誘導し、違法オンラインカジノに誘い込み、多額の借金を背負わせてまで儲けている。
一見ただの社長令嬢に見えるが、そうでもない。かなりのやり手で、不法に得た金でラスベガスに自分のカジノ店を出す計画まで立てている。」
希美の周囲を徹底的に調べさせた結果、金回りの異常な良さに気づいた。
坂東にも口止め料として五千万をポンと払うほどだ。
だが、石橋家のビジネスに彼女はほとんど関わっていない。
なら、その金はどこから出ている?
調べると、妙な噂を耳にした。
希美はここ最近、頻繁にラスベガスへ渡っている。
「ラスベガス……?」
親父が低く呟いた。
「ああ。石橋グループの帳簿を洗っても、ラスベガスへの渡航費用は一切載っていなかった。完全に“個人資金”で動いてる。」
「個人資金って……まさか。」
楓の表情がわずかに曇る。
「違法カジノの裏金だ。」
俺は迷いなく言い切った。
「ギャンブル依存者から巻き上げた金をマネーロンダリングして、アメリカに流してる。」
書斎の空気が重くなる。
時計の針の音だけが、やけに響いていた。
「つまり――あの縁談を進めていれば、道明寺も“犯罪組織の資金源”として利用され共犯になるところだった。」
すると、坂東が口を開いた。
「希美の書斎にある帳簿を調べましょうか。」
その言葉に俺達3人はじっと坂東を見つめた。
そして、親父が言った。
「坂東、信じていいのか?」
「はい。私に罪滅ぼしをさせてください。」
にほんブログ村
遅くなりました。続きをお楽しみください。
