冬季のぐったりした様子を見た瞬間、血の気が引き地面がぐらりと揺れるようなふらつきを覚えた。
かなり動揺していた。手足が震えるのがわかった。けれど、つくしは違った。
携帯を取りだし救急車を呼んだあと、震える声で「大丈夫、今助けに来てくれるからね!」と何度も必死に冬季に呼びかける。
その姿を見て、俺も徐々に冷静さを取り戻すことが出来た。冬季の細い手首を握ると、規則的な脈は感じ取れる。額の傷も小さく出血も滲む程度だ。
救急車のサイレンが聞こえ始めた頃には、うっすらと目を開け、到着した救急隊員の呼びかけにも小さく頷いた。
幸いにも病院はここから近いようだ。車から慎重に運び出された冬季は、担架に乗せられ救急車に移された。
そして、医療スタッフが俺たちに向かって言った。
「ご両親も一緒に。」
この状況ならそう思うのが自然だろう。それに、今は俺たちの関係がどうだって構わない。
そう思ったが、つくしは俺の方をチラッと見たあと、女性スタッフに言った。
「彼は父親ではありません。」
「…あ、分かったわ。じゃ、お母さんだけ一緒に。」
「俺もっ。」
「ごめんなさい。家族以外は付き添いで乗れないルールなの。」
「……。」
まるで、家族じゃないあなたはこれ以上立ち入るなと、線引きされたかのようにそう告げられ、俺は呆然と立ち尽くす。
「それじゃあ、お母さん行きましょう。。」
「…はい。」
救急車に足早に乗り込むつくしの背中に向かって、
「直ぐに俺も行くから。」
と、『家族じゃない』俺は叫ぶことしか出来なかった。
…………………
直ぐに……と言ったのに、結局事故処理などに時間がかかり病院に着いたのは30分以上遅れてからだった。
深夜外来の窓口で冬季の名前を告げると、救急室で処置中なのでその扉の前で待つようにと言われる。
怪我の状態が早く知りたくて病院内を走って移動したが、肝心の救急室の前にはつくしの姿がなかった。
キョロキョロと辺りを見回していると、病院スタッフが通りかかり俺の事を不信げに見つめる。そして言った。
「もしかして、さっき運ばれてきた日本人の子のご家族?」
「ええ、そうです。」
「良かったわ。今ドクターからお話があるので。」
「母親は見かけませんでしたか?」
俺のその言葉に、大きく頷くスタッフが、
「お母さん、病院に着いた途端に倒れてしまったの。」
と、顔を歪めて言った。
「倒れた?つくしが?」
「ええ、きっと心配で心配で気が気じゃなかったのね。ドクターの診察が始まって、軽い怪我だとわかったら、一気に力が抜けたみたい。バタンって倒れちゃって、今空いてる病室で休んでるわ。安定剤の薬を点滴してるから、1時間くらいは眠るはず。」
事故直後から取り乱すことなく、ずっと冬季の手を握り呼びかけていたあいつだけど、心はずっと張り詰めていて限界だったのだろう。
「ドクターからのお話があるけど、その前にいくつかお父さんのサインが欲しい書類があるのよ。」
お父さんと呼びれ、『家族ではない』という事実を思い出す。
「……sorry、俺は父親じゃないんだ。」
「…あらそう。それは困ったわ。じゃあ、どなたかご家族に連絡つくかしら。」
「家族…たぶんロスには居ないと思う。」
「そう。あなたは彼らとどういう関係?」
事務的な口調で病院スタッフにそう聞かれたが、どう説明すべきか。黙っていると、顔を上げたスタッフが俺に向かって?の表情をする。
「別れた夫です。」
「あー、なるほど。OK。では、お母さんが目覚めてから、彼女にサインしてもらった方がいいわね。」
家族ではない、その事実でまたしてもこれ以上踏み込むことが出来ない。
「あのっ、冬季の状態だけ教えてくれ。」
「そうね、怪我は軽傷よ。額にかすり傷がある程度。でも、お腹が痛いって言ってるから、腹部の検査をするつもり。まぁ、触診では問題ないから、そんなに心配しないで。ここで待ってる?それとも彼女のところ?」
「彼女の様子を見たあと、またここに戻ります。」
「OK。30分ほどで検査は終わるわ。」
そう言ってスタッフは救急室の中へと入っていく。残された俺は、つくしのいる病室へと向かいながら携帯を取り出し、姉ちゃんの家で待っているであろう西田に連絡をした。
………………
簡易ベッドの上に寝かされたつくしは青白い顔をして眠っていた。細い腕には点滴のチューブが繋がれている。
そっと髪に触れると、反応はないが、呼吸は規則的で穏やかだ。
1時間もすれば目覚めると看護師は言っていたから、それまでは冬季のいる救急室の前にいた方が良さそうだと思い、再び部屋を出て救急室へと向かった。
救急室の前にあるベンチには、さっきまでは居なかった夫婦らしき人物がソワソワした様子で座っていた。
俺はその2人から少し離れた場所に座り、少しだけ目を閉じる。すると、救急室から人が出てくる気配がした。
「もしかして、息子さんの血液型ってRh-ですか?」
看護師がその夫婦に聞いているようだ。
「ええ、そうですっ!」
「…それは、困ったわ。」
「困ったって?」
「手術の際に輸血が必要なんだけど、今この病院ではRh-の血液が不足してるの。ここから3時間かかる大学病院で手術してもらうしかなさそうね。」
「そんなっ……」
そのやり取りが気になり俺は目を開ける。すると、言葉を失い絶望する夫婦が立っていた。
「直ぐに移動する準備に取り掛かるわ。もう少しここで待っていて。」
看護師がそう言い、足早に救急室へと入っていこうとする背中に、父親が叫んだ。
「あのっ!私の血液を使ってください!」
「えっ?」
「私も息子と同じRh-なんですっ!」
その緊迫したやり取りの中、救急室の廊下に、俺の連絡を受けて飛んできた西田が現れて、
「坊ちゃん、無事ですかっ!?」
と、取り乱したように近付いてくる。
「あぁ、大丈夫だから、おまえちょっと静かにしろ。」
「えっ?」
「ここは病院だぞ。」
「あー、そうでした。すみません。」
小声で謝る西田に目配せすると、西田も緊迫した状況を察したようで、夫婦と看護師の方へ視線を移す。
すると、看護師が父親に向かって言った。
「お父さん、ごめんなさい。親子間での輸血は出来ないの。」
「…なぜ?」
「話せば長くなるけれど、親族間では遺伝子の差が少なく、危険な合併症を起こす可能性があるため、原則禁止されているのよ。だから、お父さんの血液型と一致していてもダメなの。」
親子じゃなきゃダメなこともあれば、こうして親子だからこそダメなこともある。
そんな彼らの会話を聞きながら、俺はふとある考えが浮かんだ。
それは、かなり卑怯なやり方だが、一瞬にして疑問が解ける唯一の方法だ。
「西田、」
「なんでしょう。」
「2つ、頼みたいことがある。」
「何なりと。」

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