午後2時。
幼稚園へ冬李(とうり)君を迎えに行く時間。いつものように部屋を出てマンションの駐車場へ下りると、そこに1人の男性がいた。
「あなたは……」
「先日はどうも。」
深く頭を下げるその男性とは、心愛ちゃんのお母様の弟さんで、つくしさんには「もう会うこともない」と伝えたばかりのあの人だった。
「どうしてここに?」
「花江さんと、少し話がしたくて」
「私と……?」
「先日一緒にいた男の子とその母親について聞きたいことがあります。お礼はたっぷりしますので。」
心愛ちゃんのお宅がどれほど裕福かは一度訪問しただけでも分かる。その叔父ともなれば、きっと資産家なのは間違いない。
けれど、こちらにも長年ベビーシッターとして培ってきたプライドはある。
「こんな職業ですが、守秘義務がありますのでお答えできません。」
すると、男性はフフっと笑ったあと、
「さすが信頼出来る方だ。姉が気に入るのも分かる。」と呟く。
「急いでいますので、失礼します。」
男性の横を通り過ぎて車に向かおうとした時、私の背中に彼が言った。
「花江さんが無理なら、直接冬李くんに聞くしかないか。」
弾かれたように振り向く私に、彼はさっきまでの表情とは違い、険しい顔で言った。
「俺が聞きたいのは、そんなに難しいことではありません。子供を巻き込まず、大人だけで解決出来ることは、そうしましょうよ。」
ここで断れば、この人は冬李くんの所へ直接行くだろう。そんな強い視線に負けて、
「……19時までは仕事があるので無理です。」
と、私は言っていた。
すると、
「では、20時にそこの通りにあるカフェで待ってます。」
彼はそう言って、さっきと同じように深く頭を下げて立ち去った。
………………
20時。
4車線の道路に面した大きなカフェ。
この時間は学生のグループやカップル、年老いた夫婦など店内は混雑していた。
ベビーシッターの花江さんはまだ来ていない。
店に入ってきたら直ぐに分かるように、できるだけ入口に近い席を確保し、コーヒーを注文した。
内心、緊張している。
あんな脅すようなやり方で彼女を誘い出し、俺はこれから何をしようとしているのか。
店員が持ってきた無駄に苦いだけのコーヒーを一口くちに入れ、自分を落ち着かせるために携帯に目を落とした数秒後、
俺のすぐ横に人の気配がして、
「いつからヤクザになったのよあんたは。」
と、声がした。
ハッとして顔を上げると、俺を睨むように見下ろす女の姿。それは予想していた人物ではなく、まさか来るはずもないと思っていた人物だった。
「……つくし、」
俺の正面に座ったつくしは、片手を上げて店員にcoffeeと綺麗な発音で言ったあと、腕を胸の前で組み、もう一度俺を睨んだ。
「ベビーシッターを脅してまで、あなたが知りたいことは何?」
「…………。」
「随分手の込んだやり方ね。椿さんの娘さんを使って花江さんを雇い、偶然を装ってあたし達に近づく。何が目的?あたし達はとっくに赤の他人のはずよ。」
つくしの出現であまりに驚き言葉が出なかったが、再会が俺の企みだと思われるのは気に入らない。
「まさかおまえがロスにいるなんてこれっぽっちも思ってなかった。俺がロスに来たのもたまたまだし、心愛があのベビーシッターを気に入って姉のところに来てもらうようになったのもほんとの偶然だ。」
「そんな偶然が重なるほど、世界って狭くないのよ。」
そう言って溜息をつきながら頭を左右に振るつくし。
「こっちだって、別れた女に付きまとうほど暇じゃねーし。」
「ふっ……」
「フッ……」
お互い息ぴったりのタイミングで鼻で笑ったあと、気まずさを紛らわすためにコーヒーに口をつける。
そして、先に口を開いたのはつくしだった。
「それで?ここに花江さんを呼び出した理由は?」
「……おまえのことを聞きたくて。」
「なんのため?」
「あのガキは、あいつの子か?」
回りくどい事は嫌いだ。どストレートにそう聞くと、つくしは険しい顔で俺を見つめたあと、
「違う。司の知らない人。」と言った。
「再婚したのか?」
「ううん。今流行りのシングルマザー。」
「ガキの父親は?」
「パス、次の質問に行って。」
「あ?……なら、仕事は?」
「日本にある加工品会社の工場がこっちにあって、そこに赴任してる。」
「年収は?」
「は?パス!司に関係ない」
「家は?」
「築30年の賃貸マンション。」
「家賃と広さは?」
「パス。それも言う必要なし。」
「おまえさぁー、パスが多すぎんだよ!」
「なんでそんな個人情報を赤の他人に教えなきゃいけないのよ。」
「赤の他人って……」
「なんかおかしなこと言った?逆に5年ぶりにあった人に急にプライベートなこと聞かれてあんただったら答えられる?」
「おう、隠し事なんてねーから簡単。」
「じゃ、年収は?」
「5億弱。」
「。。。はぁ、家は?」
「都内に邸宅が1つと、日本に8棟、海外に5棟の別宅。」
「チッ……彼女は?」
「いねーよ。けど、近々再婚する相手はいる。」
スラスラと口が滑った後に、後悔しても遅い。つくしの顔を見ると、俺から視線を逸らし、窓の外を見る。
「つくし、」
「おめでとう。」
「あ?」
「再婚するんでしょ、おめでとう。今度こそ、幸せになってね。」
視線を俺の方へ戻し、真っ直ぐにこっちを見てそう言うつくしに、俺は5年間何度も問い続けていた言葉を言った。
「つくし、俺の何がダメだった?」
「え?」
「おまえが俺から離れて、あの男を選んだ理由だよ。」
「なによ、それ。」
困ったように視線を逸らすつくし。
「今更責めるつもりもいがみ合う気もない。ただ、俺たちはどこから歯車が狂っていた?そして、俺はなんで気付かなかったんだよ。」
「…………。」
「別れた女にこんな事聞くのは情けねぇけど、それをおまえの口から聞かねーと、前に進めない。」
「司……、」
「いつもの感じで容赦なく言えよ。あの頃に比べたらメンタルだって成長したし、ちょっとやそっとじゃ落ち込まねーから。」
いや、内心はかなりビクついてる。生涯で唯一惚れた女にピンポイントでダメ出しされたら、きついのは間違いない。
覚悟して目の前のつくしを見つめると、こいつは意外なことを言った。
「逆にあたしが聞きたい。先に手を離したのはそっちでしょ。信じてたのに、裏切られたのはあたしの方。」

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コメント
少し間が空いていたので心配してました。いつも楽しみにしています、更新ありがとうございます。
こんばんわ。
ずっとワーキングママの傍らで
楽しみに愛読させていただいています。
司と再会。
いつも次のお話が楽しみです。
キュンとしたりハッとさせられたり…
末長く応援し続けています。
お久しぶり!
すっごく待ってました。司君に会えるのを。
待って待って待ち焦がれてました❗更新ありがとうございます☺️
こんばんは!
お話の再開、待ってました!
これから少しずつ、2人の結婚生活がどうやって破綻してしまったのか、明らかになっていきそうですね…。
語られる真実を色々想像しながら…続きを楽しみにしています!
あ~~? [8]?
[8]が 更新されてる!~~
一瞬わが目を疑うほど アクセスしては 落胆の繰り返し
狂喜乱舞
ありがとう
ありがとう
嬉しい
これからも楽しみにしています