「ママっ、ねぇ、ママ聞いてる?」
後部座席に座るとうりの声であたしは我に返る。
「ん?ごめん。何?」
「あのね、僕、ママに怒られることしちゃった。」
「怒られること?」
「うん。今日、チーズたっぷりのピザを食べたんだ。」
いつもなら笑って許すその言葉も、今のあたしの頭には何も入ってこない。
「ママ、怒ってる?」
「ううん、怒ってない。⋯とうり、あの家の人に何か聞かれた?」
「何かって?」
「例えば……ママのこととか、家の場所とか、幼稚園のこととか、」
言葉に出してみたけれど、まだ6歳のとうりにそんな事分かるはずもない。
「ごめん、何でもない。さぁ、家に帰ってシャワーに入ろ。」
「うん。」
車で20分ほど走らせた場所に、あたし達親子が住むホームタウンがある。
そこの6階建ての賃貸マンションがあたしたちの家。
離婚後、とうりを出産し、すぐに日本のレトルト食品の中堅企業に就職した。この子を1人で養っていかなくちゃいけない、その責任はどんな苦労よりも勝り、あたしを突き進ませた。
就職して1年目が過ぎた頃、会社が大手の食品メーカーに買収され、海外赴任の話が舞い込んだ。海外赴任と言えば聞こえは言いけれど、実際は海外にある下請け工場の監視員のような役割を募集していたのだ。
離婚、出産で実家とは疎遠になってしまったあたしにとって、日本への未練はさほどなかった。
とうりが大きくなるにつれ、色々と知りたくないことも知ることになるかもしれない。それならば、できるだけ離れた場所に行きたい。
そう思い、ロサンゼルスに降り立った。
それから4年、ようやく土地にも仕事にも慣れた頃、まさかこんな事が起こるなんて。
さっき見た光景が幻であってくれるなら……そう願ったけれど、マンションの駐車場に車を止めて降りると、帰ったはずの花江さんがそこに立っていた。
「花江さん。」
「つくしさん、大丈夫?」
大丈夫?の言葉の意味があまりにも曖昧すぎて答えに困ると、花江さんがあたしに言った。
「ごめんなさい。理由は分からないけれど、あなたにとても辛い思いをさせてしまったような気がして。」
「とうり、先に部屋に入ってて。」
あたしはとうりに家の鍵を渡し先に行かせると、花江さんに疑問を全てぶつけた。
なぜ彼らを知っているのか、どういう関係なのか、何を聞かれて、何を話したのか。それを聞いたあと、あたしは言った。
「花江さん、お願いがあります。今後一切、あの人たちに私ととうりのことを話さないで。」
「分かったわ。もう連絡もしません、だから会うこともないでしょう。」
花江さんはそれ以上何も言わないし、何も聞かなかった。「ゆっくり休んで。また明日」そう言って、帰って行った。
……………………
「司。」
姉ちゃんが俺を呼んだのには気づいたが、それに答える心の余裕はなかった。
親子が車で走り去ったあと、俺は道路に立ち尽くしていた。
「司、」
もう一度呼ばれ、俺は言った。
「姉ちゃんは知ってたのか?」
「え?」
「知ってたんだよな。驚かないってことは。」
姉ちゃんの方を向いて言うと、今にも泣きそうな顔で、
「ごめん。」と呟く。
「知ったのは1ヶ月ほど前なの。花江さんと知り合って、花江さんが預かっている子があの子だと知った時、偶然つくしちゃんを見かけたの。私も驚いたわ。でも、私たちにはもう関係の無い人でしょ。」
「どうしてあいつがロサンゼルスに?そして、あのガキは?まさか、あのヤローの子供を産んだってことか?」
「司っ!」
何度も想像した。つくしとあの運転手の男が俺を欺いてそういう仲になったかもしれないと。
それがまさか子供まで産んでいたとは。
「あのベビーシッターの連絡先、教えてくれ。」
「やめなさい司っ。これ以上関わっちゃダメ。」
姉ちゃんが今度は本当に涙を見せながら俺に言う。
その時だった、携帯にメールの知らせが。
ババァからだった。
『石橋家から年末のパーティーに招待されてるわよね。それまでには日本に帰ってらっしゃい。』
それを見て、俺は呟いていた。
「このまま、終われるかよ。」
誰に何を言われてもずっと今まで認めてこなかったが、目の前に突きつけられてきた石橋家との再婚話を今日まで無視していたのは、やはりつくしのことがあったからだ。
好きなんて感情では無い。憎しみとも違う。
ただ、あの時何があったのか、それが引っかかっていて前に進めない。
だからといって今更……と自分を制してきた。
でも、今このタイミングで俺の前にあいつが現れたのには意味があるのだろう。
「姉ちゃんも分かってるだろ。俺が前に進めない理由。」
「⋯。」
「再婚して俺に幸せになって欲しいと思うなら、もうここでちゃんと過去を清算させてくれよ。」
俯いて涙を流す姉ちゃんは、無言のまま俺に携帯をよこした。
そこには大山花江の文字と番号が。
どうやら、前に進むべき時が来たようだ。
その先に、何が待ち受けているかなんて想像も出来ないけれど。
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