絡まる赤い糸 1

絡まる赤い糸

紫門 椿。旧姓は道明寺 椿。

8年前、ホテル王である紫門(さいもん)家の一人息子と結婚しロサンゼルスに移住した。

結婚してからは、紫門家の仕事も手伝いつつ、母が所有する楓ホテルのオーナーとなり、旦那とともに忙しく世界中を飛び回る日々。

そんな日常に転機が訪れたのは3年前。32歳の時だった。

お腹に赤ちゃんがいる事が分かったのだ。結婚して5年目にようやくできた子供。念願だった子宝に、夫婦ともに涙を流して喜んだ。

そうして1年後、無事に産まれてきたのはクリクリおめめの可愛い女の子。跡取りには男の子がいいに決まっているのだが、内心私は女の子が欲しかったから、心の中でガッツポーズ。

心愛(ここな)と名ずけ、どこに行くにも一緒で溺愛してきた。

それなのに、ここにきて、困ったことがおきているのだ。

あれほどどこにでも連れ出して多くの人と触れ合わせてきたはずなのに、心愛は超がつくほど内気で人見知りが激しい子になってしまった。

私と旦那、そして両家の両親と司ぐらいにしか懐かない。私も旦那も忙しい生活をしているので、昼間はもっぱらベビーシッターに預けているが、人見知りは年々酷くなりここ1年で6人もベビーシッターが変わっている。

朝は泣いてわめいて私から離れない日が続き、娘以上にこちらのメンタルが限界だ。半年後には幼稚園に入る予定。それまでになんとか少しでも他人に慣れて欲しい。

そんなある日、いつものベビーシッターから電話が来た。

「今日、急用があって行くことが出来ない。代わりに日本人の知り合いを知っているから、その人に行ってもらうが、それでいいか?」

この国では相変わらずベビーシッターの賃金は安い。それでも他の倍は渡しているはずなのに、仕事への責任感のなさはお国柄なのかどうしようもない。

「分かりました。今後の契約は無効にしましょう。」

それだけ返信し、仕方なく心愛を連れて仕事場へ行こうとしていた時、我が家の玄関チャイムが鳴った。

「はーい。」

「シャロンからの紹介でベビーシッターに伺いました。」

それは、久しぶりに聞く日本語だった。

直ぐにエントランスへ向かうと、そこには白髪をベリーショートにカットした恰幅の良い女性が立っていた。

「初めまして、大山花江と申します。」

と、丁寧に頭を下げる。

「わざわざ来ていただいて申し訳ありませんが、シャロンには電話でお断りしていまして、今日は必要ありませんので。」

そう伝えると、

「あら、そうでしたか。行き違いがあったようですみません。それでは私はこれで失礼致します。」

と、微笑む。

ここでグダグダ文句を言わないのはさすが日本人。現地のベビーシッターなら、一日分の給料を請求されてもおかしくない。

そして、私の隣で隠れるように立っていた心愛に向かって、

「お嬢さん、さようなら。」

と、優しく手を振り背中を向けた。

その時だった。

いつもは人前でモジモジして声など出さない心愛が、突然、

「さようなら、また来てね。」

と、言って手を振ったのだ。

その声に、ベビーシッターの女性は振り向き、

「はい、またね。」

と、愛想良く返してくれる。

それを見て、私は驚き慌てて女性の名前を呼んだ。

「大山さんっ!」

「っ、はい?」

「あのっ、お時間ありますか?」

私の唐突な質問に、女性は一瞬固まったあと、笑いながら言う。

「ええ、まぁ、夕方までこちらでお仕事をお引き受けするつもりでいましたので時間ならたくさんありますが。」

「あー、そうでしたねっ!さっきの言葉は撤回しますっ!今日一日、心愛をお願いできますか?」

「……はい、喜んで。」

この日の私の勘は冴えていた。

この日をきっかけに、心愛は花江さんというベビーシッターをとても気に入り、泣きわめく日々から解放され、ようやく私のメンタルも安定してきたかと思った。のもつかの間、

「奥様、私は2週間ほどしかこちらに伺うことは出来ません。」

と、花江さんが言う。

「どうしてですか?もしかして他にも声がかかってるとか?それなら、2倍のお給料、いや3倍は出します。だから、心愛の専属になって頂けませんか?」

「お言葉はありがたいのですが、私は普段は他のお宅に専属で通ってまして。そことはもう長い付き合いなので。」

「なんとか、なりませんか?」

「……申し訳ありません。そこはシングルマザーなので私の手が必要なんです。それに、そこも日本人の親子で近くに頼れる身寄りも居ないので。」

日本人のシングルマザー。母親はベビーシッターに子供を預けながら頑張っているのだ。

「……分かりました。」

泣く泣くそう伝え、その日本人の親子が旅行から戻ってくるという2週間だけ花江さんとの契約を結んだ。

そして、2週間後。

花江さんとの最後の日、心愛にはどう伝えようかと迷ったが、ちょうどその日、花江さんがその親子を迎えに空港まで行くと言うので、それを利用させてもらう事にした。

花江さんを空港までドライブがてら送り、心愛には、

「花江さんはしばらくの間旅行に行くのよ。帰ってきたらまた遊んで貰いましょうね。」と、子供だましで誤魔化すことにした。

そうでもしないと、一日中大泣きする日が続くことが予想されるから。

そうして、空港に着いた私たちは、花江さんと目配せをした後、

「じゃあ、花江さん旅行楽しんできてくださいね。」

「はい、行ってきます。心愛ちゃんもいい子で過ごしてね。さようなら。」

と、お互い演技をして手を振る。

心愛はケロリとしているけれど、私の方が泣きそうだ。できることなら、心愛が大きくなるまで花江さんにベビーシッターを引き受けて貰いたかった。それくらい、温かくていいひとだったから。

潤む目を心愛に見られないようにしながら、花江さんの後ろ姿を見送る。

そして、私たちの距離が30mほど離れた時、空港のロビーに

「ハナさーん!」

と子供の声が響いた。

その声に弾かれるように花江さんが横をむく。すると、花江さんに向かって1人の男の子が駆け寄ってくるのが見えた。

あの子が花江さんの言っていた、預かっている日本人の子供だろう。さすが長い付き合いなだけあり、遠目に見てもかなり懐いているのが分かる。

花江さんに頭を撫でられ嬉しそうにしている男の子は心愛よりも少し大きいから、多分5歳か6歳くらいか。

そして、その男の子のあとから、大きめのスーツケースを両手に引き、母親らしい女性の姿も見えた。黒のキャップをかぶりラフなジーンズ姿。まだ20代だろうか、勝手に想像していた母親象よりも若い。

花江さんに近づくと、キャップを取り頭を下げて挨拶する母親。

その姿を見て、

私は、心臓が止まりそうになった。

「……つくしちゃん?」

何年ぶりだろう、その名前を口にするのは。

この距離では相手に聞こえるはずもない。

それなのに、私はもう一度言っていた。

「つくしちゃんなの?」

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