嫌な予感は的中した。
道明寺邸から帰ってきて数日、こはるの体調が良くない。
食べすぎたのか胃痛と吐き気が続き、今日の朝は微熱まである。
ベッドに横になるこはるに
「大丈夫か?」
ここ数日、俺は何度も同じ言葉をかけていて、その度に
「大丈夫。」
と答えていた妻だが、いよいよ自分でもおかしいと思い始めたようで、
「病院に行ってくる。」
と、言い出した。
「俺も付き合う。」
「いーよ、仕事忙しいんでしょ?少し胃が荒れてるのよ、薬もらってくるだけだから大丈夫。」
付き合いたい気持ちは山々だが、今日は外せない会議が午前中にある。
「お義母さんにお願いするか?」
そう言う俺に、こはるは苦笑しながら、
「過保護すぎっ。」
と、手を振った。
…………
会議が終わりオフィスのデスク上にあるプライベート携帯を見ると、こはるから着信が残されていた。
仕事中は滅多に電話をしてこないこはる。そんな妻からの着信に胸騒ぎがする。
急いでかけ直すと、
「もしもし。」
と、小さめな声が返ってくる。
「俺だ。どうした?何かあったか?」
「んー、それが、今病院なんだけど、」
「おう、どうだった?」
そう聞く俺に、こはるはなぜか無言のまま。
「こはる?もしかして、どこか悪いのか?」
「ううん。」
「医者はなんて?」
「それがね、」
ドキドキしながらその先を待っていると、こはるが小さく呟いた。
「妊娠してるって。」
「……あ?」
「つわりが始まったみたい。」
予想もしない展開に、言葉が出ない。
「つかさ?」
「お、おう、」
「何か言ってよ。」
「……言ってよって言われても」
「もしかして、困ってる?」
こはるが不安げにそう聞く。その言葉に思わずクスッと笑いながら言った。
「困ってる。」
「え?」
「マジで……嬉しすぎて困ってる。俺たちに子供が出来たって事だろ?家族が増えるって事だよな?すげぇーじゃんっ!こんな奇跡あるかよっ。」
「司、ちょっと興奮しすぎ。」
「これに興奮しねーやつは居ないだろっ。会社の公式ホームページで知らせるか?それともマスコミ全社にファックスするか?いや、そんなめんどくせー事しないで、記者会見開こうぜっ。」
自分でも馬鹿なことを言ってるのは分かってる。でも、俺の人生でこはるが全てだと思っていたのに、さらに愛しい存在が増えるなんて奇跡でしかない。
「司、まだ2ヶ月目に入ったばかりなの。お願いだから、大人しくしてて。」
呆れたようにそう話すこはるだが、俺はすでに手帳を取りだして『奇跡』が生まれるだろう月を計算した。
………………
こはるの妊娠報告は両家に大きな喜びを与えた。一時は離婚まで進みそうだった俺たち。それを知っている義父の目には涙まで浮かんでいる。
つわりも一定時期を過ぎるとだいぶ落ち着いたようだ。
安定期に入り、お腹もだいぶふっくらとし始めて来た。
リビングで雑誌を読みながらくつろぐこはる。その横で俺もパソコンを見つめる休日。
穏やかで幸せすぎる日々だが、ほんの少しだけ胸がチクリと痛くなる瞬間がある。
それは、こはるが医療系の本を読んでいる時だ。
医者に復帰することを諦めては居ないだろう。けれど子供を産み育てるということは、復帰時期がさらに伸びる。それはこはるのキャリアを遅らせることに繋がる。
今、幸せを噛み締めている俺とは裏腹に、こはるはこの状況をどう思っているのだろうか。
それが怖くてなかなか聞けなかったが、隣で医療雑誌を熱心に読んでいるこはるに、俺は思い切って口にした。
「なぁ、こはる。」
「ん?」
「出産は変わってやれねぇけど、子育ては全面協力する。だから、いつでも医師として復帰していいぞ。」
すると、こはるは俺の方を見て、
「なによ、急に。」
と、笑う。
「おまえに後悔して欲しくねーんだよ。」
「後悔?私が?」
「ああ。耳の状態が良くなれば直ぐに復帰出来たのに、さらに1年は伸びただろ。せっかく第1線でキャリアを積んでいたのに、」
「それとこれとは別でしょ。」
「……あ?」
「私、人生にはいくつかのターニングポイントがあると思うの。進学、就職、結婚、出産……それを経験することで人としてのキャリアが積まれる。だから、ひとつでも多く経験したいし、それを経験させてくれる司には感謝してる。」
「こはる……」
「まぁ、確かに、妊娠は計画的ではなかったけどね。」
そう言って俺を睨む妻。
避妊はできるだけしてきた。けれど、まぁ、感情の流れというか、勢いというか、何度かそのまま挿れてこはるに怒られた記憶はある。
「予定日は11月26日だっけ?」
白々しく話をそらすと、
「そう、すごい偶然よね。」
と、こはるが笑う。
「ああ。5年前笹倉と道明寺の両家が初めて顔合わせした日だろ?」
「そう。まさかその日が予定日になるなんて」
あの日から5年。
俺たちは色々なことがあったけれど、5年後、こうして同じ日に生まれる予定の子供を楽しみに待つなんて考えもしなかった。
「こはるびよりだといいな。」
「え?」
「おまえと初めてレストランの庭を散歩したあの日、初冬なのによく晴れた春のようなあったけぇ日で、俺がいい天気だなって言ったら、『こはるびよりですね』って照れたようにおまえが言ったんだよ。」
「あー、そんなことあったね。司はこはるびよりって言葉も知らなかったし、意味も分かってなかったよね。」
クスクス笑うこはる。
「道明寺邸に帰ってから直ぐに調べた。そして、あの日からこはるって響きが頭から離れなくて……」
そして、妻を引き寄せて俺は言う。
「あの日、俺はおまえに一目惚れだった。そして、なんとしてでも結婚したいと思った。あの日が間違いなく俺の人生のターニングポイントだ。」
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