こはるびより 18

こはるびより


事故を目の当たりにして、どうやら私たち夫婦は感情のコントロールがおかしくなってしまったようだ。

まぁ、こんな事は珍しいことでは無い。病院に勤めていると、生死をさまよう患者やそれを見守る家族らが、時に慰めあったり時に喧嘩をしたり、揺れ動く感情を上手くコントロール出来ずに苦しむ姿を多々見てきた。

だから、さっきまでの私たちもきっとそれに違いない。あんな悲惨な事故現場を見せられたら、極限状態になり普段は言わない言葉までもが出てしまうのだろう。

『司に何かあったら、私生きていけない。』

『こはる、おまえなしじゃ生きていけねぇ。』

さっき自分たちが発した言葉を思い出し、私は慌てて手で顔をパタパタと扇ぐ。

事故現場からタクシーに乗り泊まっているホテルまで帰ってきた私たち。お互い気まずいのか目も合わせず、必要最低限の会話だけで部屋までたどり着いた。

おやすみ…と言うにはまだ早い時間。かと言って、このまま夫と一緒にいると、抱きついて泣いたさっきの自分を思い出し、恥ずかしさでおかしくなりそうだ。

こんな時、父が居れば間が持つのに、スイートルームのリビングには父の姿はなくまだ仕事から帰ってきていないようだ。

仕方なく、私は夫の顔をチラッと見て

「き、着替えてくるね。」

と呟くと、

夫も、

「お、おう。」

とぎこちなく答える。

逃げるようにしてベッドルームに駆け込むと、私はその場にヘナヘナと座り込んだ。

夫の前であんなに泣きながら名前を何度も呼んだのは初めてだ。思い出しただけで、恥ずかしさで背中に変な汗をかく。

消し去りたい記憶だけれど、でも、あれは私の嘘偽りない感情なのだと言うこともはっきりした。

夫を失うかも…と思っただけでも身体が震えおかしくなりそうだった。それが、私の本当の気持ちだ。

素っ気ない態度ときつい口調で自分の気持ちを誤魔化してきたけれど、私にとって今まで生きてきた中で唯一、心も身体も許したのは夫だけ。そして、今でも夫だけを愛している。

悲惨な事故を目の当たりにして、そんな大事なことに気付くなんて…。

はぁーーーと溜息をつきながら、自分の膝に顔を埋めていると、部屋のドアがコンコンと鳴った。

驚いてガバッと顔を上げると、

「こはる?」

と、扉の向こうから夫の声がした。

「はいっ?」

「少しいいか?」

ドアを開けると夫が立っていて、さっきまでは気恥ずかしくてまともに目を合わさなかったのに、今は真っ直ぐに私を見つめてくる。

「手、さっき怪我しただろ。」

「…少し擦りむいただけ。」

事故現場で人だかりに押し倒され、その時に手を擦りむいた。その箇所を見てみると、うっすら血が滲んでいる。

「手当するぞ。」

「これくらい、大丈夫。」

「いーから、こっちに来い。」

夫は私の手を取りリビングへ向かう。

そして、リビングのソファーに私を座らせたあと、ホテルに備え付けてある簡易の救急ボックスを持ってきた。

その中から消毒綿と絆創膏を取り出すと、床に膝をつけ私の手を手当していく。その夫の様子を見ながら、思わずクスッと笑ってしまう。

「ん?おかしいか?」

「ううん。なんか、変な感じ。」

「あ?」

「いつも私が患者さんの手当をしてるのに、こんな風に誰かにしてもらうなんて。」

「…………。」

夫は何も言わず、傷口に絆創膏を貼り終えた。それを見て、私は手を引こうとした時、夫が私の手を引き寄せて言った。

「さっき、俺が言ったことは嘘じゃねーから。」

「…さっき?」

「おまえなしじゃ、…生きていけねぇってやつ。」

突然の告白にどうしていいのか分からず戸惑っていると、夫は立ち膝をして私と目線を合わせて言った。

「こはる、俺はこれからもずっと、おまえの隣にいたい。」

「…………。」

「嫌か?」

その答えはもう出ている。夫を失うかもと考えただけで全身が震えた事故の時を思い出し、私は小さく首を横に振った。

見つめ合う私たち。

すると、夫がゆっくりと私の方へ近付いてくる。

顔と顔の距離があと5センチ。全てを受け入れるかのように、私はゆっくりと目を閉じた。

お互いの鼻の先が触れて、上唇が重なった。あと数ミリ近づけばキス……。

と、その時、スイートルームの扉からカードキーが反応する音がして、

「はぁー、今日も疲れたなぁ。」

と、呑気な父の声が部屋に響いた。

慌て身体を離す私たち。でも、顔の火照りはすぐに無くなる訳もなく、私は父に隠れるように顔をパタパタと扇いだ。

………………

その夜、ホテルのレストランでこはると義父と遅い夕食をとった。

食事が終わる頃にはこはるの表情にも疲れが見えていて、部屋に戻るとこはるはすぐにベッドルームに入っていった。

明日は出張の最終日。夜はNYの経済界のトップらが集まるパーティーに招かれている。一応、出席者のリストにでも目を通しておくか……とパソコンを開こうとした時、

「司くん、1杯どうかね?」

と、義父がグラスに好物のウイスキーを入れて持ってきた。

「いただきます。」

義父からコップを受け取り、開こうとしていたパソコンを閉じる。

すると、俺の正面に座った義父が言った。

「最近、こはるとはどうだい?」

「え?」

「司くんが道明寺邸に帰った時は、さすがにもう無理なのかと思ったけど、最近の2人を見ていると少し期待してもいいのかなと思ったりしてね。」

その義父の言葉に、少し考えたあと答えた。

「こはる次第です。」

「こはる?」

「俺は、もう一度こはるのそばに居たいと伝え続けるつもりですけど、こはるの傷付いた心を癒せるか、」

「まさか、浮気でもしたのか?」

「まさか、俺にはこはるだけです。」

「それなら、どうして、」

義父のその問いかけに、黙ってウイスキーのカップを空けたあと、心の中で自問した。

愛のない政略結婚だと俺が酔って話してるのを聞いたこはる。そんな風に考えたことは一度もないし、口にするなんて有り得ないと思うけど、どんなに否定したって今更言っていないという証拠はない。

そのわだかまりをぬぐい去り、こはるはもう一度俺を信じてくれることはあるのだろうか。

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