こはるびより 8

こはるびより

こはるを勤務する病院まで車で送るようになって2週間が過ぎた。

もちろん、夜勤の日もあるから毎日ではないけれど、週4日は一緒に邸を出る。

車中では相変わらずほとんど会話はない。その日の手術の確認なのか、タブレットで臓器の生々しい画像を見たり、論文の執筆なのか、難しい医学書を読んでいる。

仕事熱心なのは出会った頃から変わらない。同年代の女たちがコスメやネイルの話で盛り上がっている中、こはるはいつも仕事優先で、薄化粧に爪も短く切りそろえていた。

金ならいくらでもあるのに、ブランド物を買い漁ったり夜出歩いて遊ぶこともない。逆に、笹倉家の娘だとバレないようできるだけ目立たないように暮らしてきた。

だから、今まで一緒にパーティーなどにも行ったことがない。ほとんどの出席者が妻同伴で来ているパーティーでも、俺の隣はいつも空いていて、こはるの顔自体知らない関係者ばかりだ。

「夫婦仲は良くないらしい」という噂はあちこちで聞こえてきたが、実際間違えではないし、結婚しているという事実さえあれば、むやみに寄ってくる女もいなくて、俺的にはなんの問題もなかった。

こはるに道明寺司の妻として振る舞うことは求めていないし、医者として自分の好きな仕事を全うすればいい。

プルルルルルル…………

運転中、携帯が鳴った。

「もしもし。」

車のハンドルに付いているステアリングスイッチを操作して電話に出ると、相手は西田からだった。

「副社長、おはようございます。渋沢建設との会食ですが、急遽本日19時から予定しても大丈夫でしょうか。」

「あ?随分急だな。」

「今日を逃すと3週間後になりそうで……、」

渋沢建設の社長は多忙でスケジュールを合わせるのが大変な1人だ。

19時から……となれば、今日のこはるは日勤だから、帰りに迎えに行くことが出来ない。

チラッと隣のこはるに視線を移すと、こはるもそれを感じたのか、視線はタブレットに向けたまま、

「私は自分で帰れるから気にしないで。」

と言う。

仕方がない。仕事優先なのは俺だって同じだ。

「わかった。先方にはOKだと伝えてくれ。」

そう西田に言って電話を切ったあと、こはるに、

「大丈夫か?」

と聞く。

俺が迎えに行かなくたってタクシーを使えばいいし、邸の運転手に行かせてもいい。それなのに、『大丈夫か?』なんて声をかける自分に驚く。

でも、こはると一緒にいる時間が長くなればなるほど、妻の動向が気になって仕方がない。これは、耳が不自由になった妻への同情だろうか。

「タクシーで帰れよ。それと、……邸に着いたら俺の携帯にメールしろ。」

そこまで言うと、こはるが不思議そうに俺を見る。

「な、なんだよ。」

「なんでそんなに監視する訳?もしかして父になにか言われてる?」

「あ?」

「別居をほのめかしたから父が怒ってるとか?夫婦仲を立て直すように言われたの?」

全く論外だ。俺はおまえのことが心配で……と言いそうになったが、よく考えてみたら、俺たちはもうそんな関係じゃない。

「おまえの好きに解釈しろ。」

そう突き放したように答えると、

「今日は当直室に泊まるから、メールはしない。」

と言って、こはるがタブレットをカバンにしまい、

「ここで降りるわ。」

と、車を降りていった。

結局俺たちはこうだ。口を開けばいがみ合い、相手を傷つけるような言葉しか出てこない。

こはるの後ろ姿を見つめながら、こめかみをぐりぐりと押しため息をついた。

……………………

19時からの会食は2時間ほどで、思ったよりも早く終了した。食事の最後に大きなうなぎの蒲焼が乗った鰻重が運ばれてきて、俺はそれを口に入れながら考えていた。

当直室に泊まると言ったこはる。きっとまた夕食はコンビニかデリバリーのものだろう。朝もコーヒーとクロワッサン1つだけ。昼に食べるようにフルーツを持っていったけれど、それも食べたかどうか怪しい。

「すみません、鰻重、持ち帰りで作って貰えますか?」

お茶を運んできた料亭の仲居にそう伝えると、

「はい、ご用意できます。おいくつですか?」

と、快く引き受けてくれる。

「……んー、5つほどあれば。」

「30分くらいかかりますが、今からお焼きしますね。」

それから30分後、料亭を出る時に渡された鰻重は紙袋の外からでも伝わるほど熱々だ。

それを持ち、西田が待つ車に向かう。

「西田、わりぃ。こはるの病院に向かってくれ。」

「……今日は泊まりでは?」

「ああ、……これだけ届けてくる。」

そう言って料亭の名前が入った紙袋を西田に見せると、怪訝そうに見つめたあと

「了解しました。」

と車を走らせた。

21時過ぎの病院。面会時間も終わり、救急外来の入口しか開いていない。

そこから入り、ロビーのベンチでこはるに電話する。

2回、3回、電話しても繋がらない。もしかしてもう寝たか?それとも緊急の手術でも入ったのか。

どうしようか迷っていると、白衣を着た年配の男性が近づいてきた。

「もう面会時間は終わりましたが、どうかされましたか?」

「ここで働いてる職員の家族なんですが、ちょっと渡したい物があって、」

「あー、そうでしたか。それでしたら事務室の電話から病棟に連絡出来ますけど。ちなみに職員の名前は?」

「道明寺こはるです。外科の医者の。」

そう言うと、ちょっと驚いたような顔をしたあと、

「失礼ですが、あなたは?」

と聞いてくる。

「夫の道明寺司です。」

「そうでしたか。では、こちらにどうぞ。」

その男性に連れられて、奥まった事務所の前のベンチに腰をかけた。

それから10分後。背後から足音が聞こえてきて、俺は振り向いた。すると、そこにはこはるではなく、見覚えのある男が立っていた。

「どうも、笹倉の同僚の本田です。」

「こはるは?」

「今、手術に入ってまして。なにかご用でしたか?」

「……これを渡したくて。」

本田ドクターに紙袋を差し出すと、不思議そうにそれを見る。

「手術が終わったらこはるに食べるように伝えて欲しい。……多めにあるので、皆さんもどうぞ。」

俺がそう言うと、本田ドクターは黙ってそれを受け取ったあと、「少し話せますか?」と言った。

………………

病院の薄暗いロビーのベンチ。一つ空けて並んで座る俺と本田ドクター。

「最近、朝も帰りも道明寺さんが送ってるそうですね。」

「ええ、それが何か?」

「いえ、フフ……随分手のひらを返したように態度が変わったもので、驚いてまして。」

どうやら、薄々は感じていたが、友好的な話ではないらしい。

「どういう意味でしょう。」

「笹倉から聞きました。耳が聞こえないことを道明寺さんに知られたと。そもそもどうして耳に異常をきたしているか分かっていますか?」

「本人からは何となく聞いています。」

俺との生活が1番のストレスだと言われたことを、あえてこの男に言う必要はない。

「なら、言わせていただきます。笹倉と離婚するつもりはありませんか?」

「あ?」

「なんの感情もない政略結婚だと聞いてます。家同士のための結婚に笹倉を巻き込んで、彼女の人生を壊さないであげて欲しい。」

「あなたに言われる筋合いは無い。それともなにか?おまえはこはるの、」

「好きですよ、僕は笹倉のことが。でも、笹倉が結婚してるのも知ってますし、幸せに暮らしてると思っていたから見守ってきましたけど、そうじゃないってわかったので。」

「こはるがそう言ったのか?」

「……ええ。結婚したこと自体、間違えだったって。医者の目から見ても今の笹倉は限界です。耳のことも、これ以上悪化させたくない。今更、あなたが笹倉に優しくするのを見て、俺は無茶苦茶腹が立ってます。今さら、なんなんだって、誰のせいだって。」

そういった時、本田ドクターのポケベルが鳴った。

白衣のポケットからそれを取りだし、

「呼び出しなので、行きます。」

と、言って立ち上がる。

その本田ドクターに俺は言った。

「こはるに伝えてくれ。何時になってもいい。こはるが来るまで外の車で待ってると。」

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