笹倉家の義父は昔から、国内にある優秀な大学や企業の研究チームを支援するため多くの寄付金を出してきた。
そのうちの一つが、こはるが勤める大学病院の新井ドクターのチームで、先日国内初の移植を成功させ世間を賑わせたばかりだ。
その祝賀パーティーとも言える会が、今日都内のホテルで開かれていて、忙しい義父に代わって俺が出席することになった。
この手術には助手としてこはるも関わったようだが、パーティーのような派手な席が苦手なあいつは来るはずがない……と思っていたのに、
パーティーが始まってすぐ、秘書の西田が俺に耳打ちをしてきた。
「副社長、こはる奥様が到着されたようです。」
「あ?こはるが?」
「はい。」
西田と共に会場の入口を見ると、長身の男と一緒に入ってくる姿が見えた。
「あれは?」
「今回の手術で助手として一緒に入った本田ドクターです。」
さすが西田だ。こはるの同僚の顔と名前も一致している。
「こはるさんに副社長もここに居ることをお伝えしてきましょうか?」
「…………。」
パーティー会場には1000人近い人がいて、しかも立食形式だ。上手いこと動けばお互い顔を合わせることもない。
「いや、直ぐに帰るから知らせなくていい。」
西田にそう言うと、小さく頷いてこはる達から見えないように背を向けた。
それから15分ほどたった頃、会場の前方にあるステージで新井ドクターの挨拶が始まった。長年の研究テーマや今回の手術の経緯などが話され、俺の専門分野外だがとても興味い話で深く聞き入った。
その中で、『信頼出来る我が医療チーム』として紹介されたのが、こはるとその隣の本田というドクター。はにかむような笑顔で小さく会釈しながらステージ上にあがるこはるを、そっとエスコートする男。そして、花束を受け取ったあと2人で顔を見合わせて小さく笑う姿が、なぜか気に入らない。
ステージ下に降りてからも2人は肩を寄せ合うようにずっと一緒だ。本田がこはるのために料理を皿に取ってくれば、今度はこはるが男のために飲み物が入ったグラスを持ってくる。
俺とパーティーに参加してもそんなことをした事は1度もない。俺のそばにいた試しなんてないくせに、他の男とはあんなにもパーティーを楽しんでやがる。
2人を見ながらイライラしてきた俺は、更にこはるのある行動でプツリとキレた。
それは、男がこはるに話しかけた際、周りの雑音で聞こえなかったのか、首を少しかたむけながら男の方にピタリと近づいたのだ。すると男もこはるの耳に自分の顔を近づけて耳打ちするように話す。まるで、恋人同士のようなその距離に、夫としては我慢がならない。
「副社長っ?」
急にこはるたちの方へ向かう俺を西田が慌てたように引き止めるが、それを無視して真っ直ぐに2人の方へと近付く。
そして、2人の後ろから声をかけた。
「こはる。」
「っ!どうして、ここに?」
幽霊でも見たかのように驚くこはる。
「仕事だ。……そちらの方は?」
分かっているけれど、あえてそう聞くと、こはるは戸惑った表情で、
「同じ病院で働いてる本田先生。」
と、男を紹介する。
「初めまして。」
「あー、初めまして、本田と申します。」
戸惑いながらも礼儀正しく頭を下げる男に俺は言う。
「妻がいつもお世話になっております。」
「えっ!笹倉の旦那さんですかっ?」
驚く本田ドクターと、わざわざ俺が挨拶をしに来たことに不機嫌になるこはる。
「道明寺司です。」
「あ、どうも、こちらこそ奥さんにはいつも仕事でお世話になってまして。」
「妻からは聞いてます。頼りになる先輩だと。」
西田からの予備知識で嘘がスラスラと出てくる。
「そろそろ時間なので、こはるを連れて帰ってもよろしいですか?」
「あっ、どうぞ。」
ぺこりと頭を下げる本田ドクター。その横で不服そうに俺を睨みつけたあと、
「大丈夫です。もう少し私はここに居るので。」
と、こはるが吐き捨てる。
夫以外の男にはデレデレするくせに、俺にはこの反抗っぷり。さすがに腹が立って、こはるの腕を掴んで連れ出してやろうかと思ったら、それを察知したのか横から西田が、
「こはる奥様、社長も邸で待ってますのでご一緒に。」と、やんわりと促す。
それを見ていた本田ドクターも空気を読んだのか、
「笹倉、また明日な。おつかれ。」
と言って、逃げるように立ち去っていく。
「行くぞ。」
わざと俺に聞こえるように大きなため息をつくこはるを無視して、パーティー会場を後にした。
………………
帰りの車の中。西田が運転席で俺とこはるは後部座席に並んで座った。
ピリピリとした雰囲気の中、こはるが口を開く。
「なんなの急に、夫だなんて挨拶して。」
「何か都合悪いことでもあるのかよ。」
「はぁ?」
「随分あの男と仲良いんだな。」
「ただの同僚でしょ。」
「あいつの前ではデレっとしやがって。」
その言葉で、俺の方を睨みつけるこはる。その目が怒りで潤んでいる。
「本田先生は私たちより年上よ。あいつとか失礼なこと言わないでっ!」
こはるがこんなにムキになるのを初めて見た俺は、
「フッ……やっぱあいつのことが好きなのかよ。」
と、挑発的に言い返す。
すると、こはるの目から溜まっていた雫が溢れ出し、それを隠すように俺から視線を逸らしたあと言った。
「私が誰を好きになろうと関係ないでしょ。」
「あ?俺たちは夫婦だぞ。」
「だから何?書類上の関係なんてなんの意味もない。あなたと居ると……惨めになるから嫌なの。」
惨め……、こはるのその言葉の意味がわからず黙っていると、
「西田さん、ここで停めてください。」
と、彼女が静かに言った。
「えっ?」
「降りるので停めてください。」
「奥様……」
「停めてっ。」
怒りに満ちたその声に、西田もそれ以上は何も言わずに車を停めた。
「こはるっ。」
「触らないで。これだけは言わせてもらう。夫婦だなんて思ったこともないくせに、夫ヅラしないで。」
俺の手を払いのけたあとに、そう言ってこはるは車から降りて行った。
…………
その夜、こはるは笹倉邸に戻ってこなかった。
何度も電話をかけたが繋がらない。
そして思った。
そろそろ潮時か。
俺たちの関係はもう修復できる状態ではない。俺と居ると惨めになるとあいつは言った。
その時のこはるの辛そうな目が頭から離れない。
一睡もしないまま世が明けた頃、俺は義父の書斎を訪ねた。早起きの義父はいつも通り書斎で読書をしていた。
「司くん、どうしたこんな早くに。」
「お話があります。」
そう言うと、義父は唇をキュッと噛み締めたあと、
「そこに座ってくれ。」と言った。

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