こはるびより 3

こはるびより

午前中に1件、少し休んで午後から1件の手術を終え、体力的にも精神的にもクタクタだ。

ドクタールームの「笹倉こはる」というプレートが置かれた自分の席に深く腰を下ろし、ガンガンに張った肩を揉みほぐしながら「はぁーーー」と息を吐く。

ここのところかなりハードワークだ。先月の医療雑誌で、「若手ポープ」などと紹介されて以降、手術希望の患者が増えている。

病院としては効果的な宣伝になっただろうけれど、こっちとしてはいい迷惑だ。

私の恩師であるここの病院の外科部長、新井ドクターが日本で初めてとなる豚の臓器を使った移植に成功した。その手術に立ち会ったのが、3つ年上の本田ドクターと私。

長年の研究が成功し、しかも10代の患者の若い命を救ったことでマスコミに大々的に取り上げられ、雑誌の取材まで受けることになってしまった。

そのせいで、ここ1ヶ月は全く休みがないどころか、家にもほぼ帰っていない。

目を閉じると、このところずっと続いている耳鳴りかさらに激しく聞こえ眉間に皺を寄せると、

「笹倉、疲れてんな。」

と、相変わらず私のことを旧姓で呼ぶ本田ドクターが苦笑しながら近づいて来た。

「疲れてますよ。だから私に休みをください。」

「手術スケジュールを見てから言えよ。」

「いつか死にますよ、私たち。」

「どっちが先か勝負だな。」

そんな冗談を言い合いながらコーヒーを2つ分入れて本田ドクターに渡す。

「サンキュ。笹倉、明日は家の近くまで迎えに行こうか?」

「え?明日?」

「もしかして忘れてないよな?」

「何かありましたっけ?」

そう答えると、本田ドクターは呆れた顔で言う。

「新井部長のお供でパーティーに行く予定だろ。」

「あっ!!」

すっかり忘れていた。明日は都内のホテルで医療関係者が集まるパーティーがある。表向きは『今後の日本医療の在り方』という堅苦しい交流会だが、実際は新井部長の移植手術成功をお祝いするパーティーだ。

「どうしても行かなきゃダメかなぁ。」

そう呟く私に、そういう場が苦手な本田ドクターも渋々、

「一応、俺達も助手として貢献したからなぁ。」と今回ばかりは仕方がないという顔で呟いた。

その後、本田ドクターが病棟に戻り私が1人で論文の手直しをしていると、携帯に一通の通知が届いた。

クレジットカード会社からだ。何となく気になってそのメールを開いてみると、カードの利用履歴に関するお知らせだった。

私たち夫婦はお互いが共通のクレジットカード会社のカードを持っている。俗に言う家族カードというものだ。

1番ランクの高いカードのためもちろん利用上限などというものもなく、いちいち使った額を確認することもない。けれど、防犯上の観点から1億を超えた利用があった場合はお互いのメールに通知が来ることになっている。

1億を超える買い物とは、以前にも車や時計、別荘など何回かはあったけれど、明細を見ればだいたい何を買ったのかは予想が出来た。

けれど、今回のものはその明細を見ただけでは予想がつかなかった。しかも金額は……12億。まぁ、いいかという額では無い。

引き落としになる口座は夫が稼いだお金が入っている口座だから何に使おうが文句は言えないし言うつもりもないけれど、その高額な買い物がなんなのか少しだけ気になり、その後また耳鳴りが酷く続いた。

………………

翌日。笹倉邸の自分の部屋でパーティーに行く準備をしていると、『18時に駅に迎えに行く。』と本田ドクターからメールが来た。

本田ドクターとは大学からの付き合いで、医局の同じ研究チームのメンバーでもある。年上だが気心がしれた友達のような存在の彼は、普段はほとんど自分で運転をしない私を、何かある事にこうして駅まで送迎してくれる。

どうして駅までなのか……と言うと、実は本田ドクターは知らない。私が東京のど真ん中にある大豪邸に住む笹倉家の娘だということを。

そもそもその事実を知っているのは、勤めている大学病院の院長と恩師の新井部長だけ。そして、仕事上は今も『笹倉』と旧姓を使っている私の夫が『道明寺司』だと知っているのもその2人だけだ。

もし私が大企業の一人娘で、夫も大財閥の御曹司だと分かれば、周囲の人達の態度は変わるだろう。それは昔から何度も経験してきた。でも、私の素性を知った人々が豹変していく姿が私は大嫌いだった。

だからそれを避けるため父の仕事を継がなかったし、家柄などなんの得にもならず自分の手だけが武器であるドクターという道を選んだのだ。

「了解」と、短く本田ドクターに返事を返した後、今日着ていくスーツを選ぶためクローゼットの中へ入った。

パンツスーツにしようか、いやパーティーだからいつもより華やかなスカートがいいだろうか。迷いながら並んでいる服に目を通していると、ふとアクセサリーコーナーに見慣れない赤い箱が置いてあるのに気付く。

なんだろう、大きさからしてネックレスか?

そっとその箱を開けると、そこには青みがかったグリーンが綺麗なネックレスが入っていた。これはきっとアレキサンドライトの石だろう。

だとしても、そのサイズといい、カットといい、神秘的な輝きといい、私が今まで見たアレキサンドライトの中で1番美しい。

そのネックレスに見とれていると、その赤い箱の側面に小さなロゴを見つける。そしてピンと来た。

このロゴは昼間届いたカードの明細書にあった名前と同じだ。ということは、あの12億という品はこれだったのか?

夫が私のために……一瞬そう思ったが、直ぐにその考えをかき消す。

明細書には2点とあった。ここにあるのはネックレス1点のみ。

すると、もうひとつはきっと、彼の『本命』に渡されたのだろう。そして、ここにあるネックレスはそのおまけで買ったものに違いない。

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