家に着くなり、後悔する。
道明寺が来るなんて思ってもいなかったから、脱ぎ捨てた服などがリビングに散乱している。
「ちょっ、ちょっと3分だけここで待ってて!」
そう言って、道明寺を玄関で待たせて、慌てて片付けた後、
「どーぞ。」
と、息を切らしながら中に招き入れた。
「そこに座って。」
「ん。」
ソファに座らせ、奥の部屋から救急箱を取ってくる。
車の中で見た時はかなり酷い傷のように見えたけれど、実際はそれほど深くないようだ。
こびり付いている血液をコットンで拭き取り、トゲなどが入っていないか確かめる。
「トゲもないみたい。このままキズパット貼っておくけど、濡れたりしたら貼り替えてね。」
キズパットが入っている箱ごと道明寺に手渡してそう言うと、小さくコクンと頷いたあと、真っ直ぐに見つめてくるこの人。
その視線にドキドキして、あたしは慌てて、
「な、何か飲む?温かいものがいーよね?お茶それともコーヒー?」
と、キッチンへと逃げる。
「コーヒー。」
「ん、待ってて。」
やかんを火にかけ、ドリップコーヒーの用意をしている間、沈黙が気まずくて、
「大変な目にあったね。視察団の方達も怒ってたでしょ。1ヶ月くらい前に電気系統の配線工事もしたはずなんだけど、こんな時に限って切れちゃうなんて。」
と、一応役場の職員らしくフォローすると、道明寺が静かにあたしの背中に向けて言った。
「おまえはどう思う?」
「…ん?」
「この町にホテルが建ち並んで観光客が増えること、どう思ってる?」
思いがけない質問に固まると、さらに道明寺が続けた。
「今日、山のてっぺんに取り残されて思ったんだ。虫の鳴き声まではっきり聞こえるくらい静かで、見渡す限り大自然に囲まれてて、よそ者を助ける為に重機に乗ってまで集まってくる町のヤツらの団結力。そういうものを俺らは全部ぶち壊そうとしてるんじゃねーのかって。」
そう言いながら、唇を噛むこの人。
そんな道明寺の横にあたしは並んで座り、聞いた。
「あたしの考えでいいの?」
「ああ、おまえの考えが聞きたい。」
正直、この町の開発話が沸き起こったのは3年ほど前から。役場の職員としてはどこに行っても中立な立場を貫いて本音は控えてきた。
けれど、今の道明寺の目を見れば分かる。そんな上っ面な言葉が聞きたいのではなく、ここに住んでいる町の人の素直な声を知りたいのだろう。
だから、迷わずに言った。
「あたしは、……反対かな。この町は冬はスキー、夏はキャンプでたくさんの観光客が来るの。でも、その山や川を1番愛してるのはこの町の町民。当たり前のように家族で休日にスキーを楽しんだり、川下りをしてテントを貼って泊まったりしてる。そういう町民の大事な財産の山や川だから、それをお金儲けのために使われるのは悲しい。」
仮にも視察団の一員である道明寺にこんな事を言うべきではないのかもしれない。でも、この町が好きで、この町で働きたいと思い都会から移り住んできたあたしにとって、1番愛すべき自然を壊されるのは胸が苦しいから。
「やっぱな。おまえは…そう言うと思ってた。」
「そう?」
「都会に住んだことしかねえ俺でさえ、あの山の上から見た夜景とか木の匂い、風の気持ちよさを壊したくねえと思うのに、ここに住んでる人にとっては尚更だろう。」
「……良かった。道明寺もそう思ってくれて。」
嬉しさを噛み締めながら、ゆっくりコーヒーに口を付けると、突然道明寺がおかしなことを言い始める。
「っつーか、おまえさ、町の若い男たちとスキーに行ったのかよ。」
「ブッ…ゴホッ…、なに、急にっ。」
「今日、スキー場に案内してくれた菅野っつうオヤジが言ってたぞ。」
菅野とはげんさんのことだ。
「げんさんのその言い方がおかしいでしょ!若い男って言っても町の青年部の人たちだからっ。あたしがスキーをするのが初めてだって言ったら、スキー教室を開いてるからおいでって言ってくれて、」
「ノコノコ行くなよ、そんなのに。」
「だって、この町でスキーに乗れないなんてあたしくらいなんだから、」
「言えば、俺が教えてやるのに。」
「…………。」
「他の男となんて行くな、バカ。」
ダメだ。2年半忘れていたけれど、この人のこういうストレートな視線と言い方に、あたしは1番弱いのだ。
「もう、……ヤダ。」
思わずそう呟くと、一瞬不安そうに目を細める道明寺。ヤダという言葉が誤解をさせたのだろうか、この人にそんな顔をさせたい訳じゃない。
あたしだって、道明寺のように真っ直ぐに伝えたい。
「道明寺、この間言ったよね?あたしのことを視察に来たって。」
「ああ、あれな。おう、おまえを見に来た。」
「それで、どうだった?」
「あ?」
心臓が飛び出そうなほどドキドキしている。けれど、今が言うべき時だと分かってる。
「2年前のあたしじゃなく、今のあたしでも、道明寺は本当に恋愛したいと思ってくれる?」
思い切って口にしたその言葉。
すると、無言のままゆっくりと身体を引き寄せられ道明寺の腕の中に抱きしめられる。
そして、耳元で、
「当たり前だろ。」
と、甘く囁かれた。
安堵感で心が満たされていくのと同時に、抱きしめられた温もりが心地よくて力が抜けてくると、少しだけ身体が離され、道明寺があたしの顔を覗き込んでくる。
これは……、そう思ったのと同時に、予想していた通り、唇が重なった。
それは長く長く続くキスだった。
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