視察団が来たという噂は、次の日にはあっという間に町中に広がっていた。
昼過ぎに役場に顔を出したげんさんが言うには、町に古くからあるホテルと民宿のオーナーたちが猛反発をしていて、抗議活動をすると意気込んでいるらしい。
彼らの孫の顔まで知っている役場の職員としてはかなり複雑だ。町の繁栄を願えば外資系のホテルを受け入れてスキー客を獲得したい。けれど、そうなれば彼らの老舗ホテルや民宿は潰れかねないだろう。
どちらとも選択しがたいと思う役場職員の声とは関係なく、今日も視察団は朝から勢力的にあちこちと見て回っている。
さすが彼らはプロだ。この町にビジネスチャンスがあると思って来ている以上、町民の目を怖がっている暇は無い。
視察団のスケジュールも予定通り着々と進み、あたし達はただ見守るしか出来ない……、
そう思っていたのだが、視察団が来て3日目、1本の電話をきっかけにそうもいかなくなった。
19時を回った頃、
スキー場のリフト小屋から役場に電話がかかってきた。
「もしもしっ、佐々木課長いるかい?」
「げんさん。課長ならもう帰宅しましたけど。」
「いやぁ、参ったな。ちょっとトラブって、課長に大至急連絡取って欲しいんだ。」
いつになくイライラしているげんさんの声。
「課長、帰宅したら携帯の電源切ってますからね、あしたまで繋がらないかも。」
「それなら、誰か家まで行って課長をスキー場まで連れて来い。」
最後の方は怒鳴るように言ったげんさん。その声でただ事では無いと悟る。
「……何があったんですか?」
「はぁー、すまない。実は例の視察団が夜のスキー場のライトアップを見たいと行って今来てるんだ。リフトに乗って山頂まで行ったんだけど、そこから下りられなくなってる。」
「えっ?下りられないって?」
「ああ。誰かが電気の配線をぶった切った。」
「……はぁ?」
「リフトが上まであがったあと、全く動かなくなっちまったんだ!もちろん、ライトアップも全て消えた。冬ならスキーでおりてこいって言えるけどよ、真夏でしかも辺りは真っ暗。どーしてくれるんだよ。」
「どーしてくれるって……、どうしましょう。」
「とにかく、佐々木課長に知らせてくれ。」
「分かりました!直ぐに連絡しますっ!」
あたしは電話を切ったあと、その場にいた役場の職員に事情を説明し、急いで課長の自宅へと車を走らせた。
………………
それから1時間後。
スキー場はまるで別世界のようになっていた。
電気系統が全く使えなくなったそこは、ついさっきまで暗闇に包まれていたのに、どこからともなく現れた何十台もの大型農機具トラックが整列し、山頂をヘッドライトで照らす。
そして、佐々木課長がキャンプ場から手配してきた四輪バギーが6台。ライトで照らされた山を駆け上がり救助に向かう。
山頂にいる視察団は全員で10人。もう1時間以上もてっぺんで待ちぼうけを食らっている。夏とはいえ、気温も下がってきたから彼らの体力が心配だ。
役場の職員たちも心配してスキー場に押しかけている。あたしも課長の家に行ったあと、そのまま自分の車でここまで来た。
時計を見ると、もうすぐ21時。
こんな時間に、町民がスキー場に大勢集まっている光景は、今まではじめてかもしれない。
バギーが山を上がっていってから10分後。そばにいた課長の携帯がなった。バギーの運転手からだ。
「もしもしっ、おっ、居たか?よしっ!みんな無事だな?ゆっくりでいい、安全に連れ帰ってくれ。」
視察団は全員無事。その事に、周りのみんなが安堵のため息をつく。
そして数分後。山の上から戻ってくるバギーのタイヤの音が聞こえてきた。
……………………
視察団は疲れ切っているものの、怪我もなく全員無事だった。10人全員が山からおりてきて、その中には予想していた通り道明寺もいた。
突然の電気系統の故障という事で、怒ると言うよりも呆れているように見える。
「役場に暖かい飲み物を用意してますから、休んでくださいっ!」
課長がそう声をかけるけれど、彼らは渋い顔のまま道明寺に何かを囁いた。
「疲れているので、ホテルに戻るそうです。」
道明寺が通訳として代弁する。
「はぁ、そうですか。なら、車っ!すぐに車を手配してっ!」
課長がそう叫び、役場の職員がタクシー会社に電話する。
数分後、次々と5台ほどのタクシーがスキー場に滑り込んできた。視察団の中の女性や年配の男性から先にタクシーに乗せてホテルへ向かわせる。
そしてあと道明寺1人だけ……となった時に、なかなかタクシーが現れない。田舎のこの時間帯だ。タクシー運転手も帰宅している者が多いのだろう。
農機具トラックや四輪バギーが撤収作業をする中、道明寺だけがポケットに手を入れてスキー場の山を見上げている。
その後ろ姿に近づき、あたしは言った。
「タクシー来ないかも。あたしの車に乗ってく?」
すると、道明寺が振り向いた。その顔はいつもより疲れているように見える。
「おう。頼む。」
素直に頷いた道明寺を連れて駐車場に向かい、ホテルまでの道を走らせる。
その間、この人は何も喋らない。この事態に怒っているのだろうか、それとも疲れて喋る気力もないのか。
「……道明寺、大丈夫?」
「あ?……ああ。」
短く答えた道明寺は右手で髪を軽くかきあげた。と、その時、指に赤いものが付着しているのに気付き、あたしは道明寺の手を取った。
「ねぇ、これ、どうしたのっ?」
「あー、山頂の木に引っかかった。暗くてなんにも見えねーから。」
「ぱっくり切れてる。痛くない?」
「ジンジンするけど、たいしたことねえ。」
本人はそう言うけれど、傷口はかなり大きくて出血した血がすでに固まってしまっている。
「手当しないと。」
「いーよ。放っておけば治る。」
「木に引っかかったんだからトゲも刺さってるかもしれない。ホテルに戻ったら……、」
そこまで言って考える。ホテルに行ったところで、せいぜい消毒液と絆創膏くらいしかないだろう。それをフロントにわざわざ言って持ってきてもらうのも面倒くさい。
それならば、
「うちに来る?」
あたしは思わず聞いていた。
「あ?」
「うちなら、傷口に貼る大きめの傷パットがあるし、もしトゲが刺さってたら先に抜いて、」
その先は言わせて貰えなかった。
「行く。」
「ん?」
「おまえの家に…行く。」
その言葉を聞いて、自分で誘っておきながら、心臓が壊れるくらいドキドキしてる。
「ん。分かった。」
あたしはそれだけ言って、緊張がバレないように必死に車を運転した。
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