「何もそこまでする必要ねーだろっ。」
邸にある書斎で、俺はババァに向かってそう怒鳴っていた。
「会長がそう決めたんだから仕方ないでしょ。」
「人助けにも程があるだろ。
たかが道で倒れたのを助けてもらった位で、ここに住まわせるなんて狂ってるっ。」
1か月前に道で倒れたところを、たまたま通りかかった女に救護された祖父。
英徳大の学長であり、道明寺ホールディングスの会長でもある祖父は、元々心臓が悪い。
外出する時は必ず薬を持参しているが、あの日に限って邸に忘れていった。
それに気付いたタマが俺に薬を届けるように言い、楓ホテルのラウンジで会長と待ち合わせをしていたのだ。
待てど待てど会長は来ない。
そのうち、ババァから会長が倒れて病院にいると連絡が入り、俺は慌てて病院へ駆けつけた。
幸い大事には至らなかったけれど、元気になった会長がとんでもない事を言い出したのだ。
命を救ってくれたお礼に、その女を邸で預かると。
「でも、今日会ってみたら、会長が気に入るのも分かったわ。素直で可愛らしい子よ。」
「たった1回会ったくらいで何が分かるんだよっ。」
「分かるわよ、間違いなくあなたよりは良い子ね。
英徳大の同級生なんだから、一度は顔くらい見たことあるでしょ?」
ババァにそう聞かれて、さっきホテルの一室で会った女の顔を思い浮かべてみる。
どこかで会ったような気はするけれど、全く覚えていない。
「つくしさんの部屋はどこがいいかしらね〜。
椿が色々とお世話をするって張り切ってるし、会長から預かった大事な娘さんだから、3階の南部屋にしようかしら。」
3階の南部屋はこの邸でも1番広くて豪華な部屋。
そこを使わせるなんて、ババァも相当浮かれているようだ。
「俺は一切関わんねーからな。」
「はいはい、分かったから、迷惑かけないようにして頂戴ね。」
「ッチ」
俺は舌打ちをして書斎を出た。
………………
それから3日後。
女がトランクケース2つを抱え邸に引っ越してきた。
「つくしちゃん、荷物はそれだけ?」
「はい、必要なものはここに入ってます。」
そう答える女を見て姉ちゃんが驚いている。
それもそのはず、姉ちゃんが留学先のドイツから邸に帰宅した時は、大型トラック2台分の荷物があったっけ。
一通り邸の中を案内し、スタッフに紹介を終えると、もう夕食の時間。
祖父、ババァ、姉ちゃん、俺、そして女の5人がテーブルに顔を合わせた。
俺の正面に座る女。
ストレートの肩まで伸びる黒髪、二重の大きな目、つるんとした化粧っ気のない肌、華奢な身体、
…………それにしても、貧乏くせぇ。
会長は、あまりにこいつが貧乏臭くて可哀想になって拾ってきたんじゃねーのか。と疑ってしまうほどだ。
「つくしさん、困ったことがあればいつでも言うんだよ。」
「はい。」
「遠慮しなくていい、邸のものは自由に使いなさい。ガレージに車も用意してあるので、登校する際に使いなさい。」
会長のその言葉に俺は即座に反応する。
「じぃ!それはねーだろっ。俺には車で登校禁止だって言ってんのに、こいつにはいーのかよっ。」
「司、こいつとはなんだ、きちんとつくしさんと呼びなさい。
それと、車で登校した初日に私の愛車を凹ませてきたのは誰だ?」
「だからそれはっ、俺のせいじゃねーって言ったろ。」
免許をとって直ぐに会長の愛車のポルシェを借りて登校したら、校内で一時停止を無視したヤローにぶつけられた。
それ以来、プライベートで外出する時は運転を許されているけれど、登校時は高校の時のように運転手付きになってしまった。
俺と会長の言い合いを横目に姉ちゃんが女に言う。
「つくしちゃん、車の鍵は後で渡すわ。」
「いえ、私は必要ないので、」
「いいのよ、遠慮しないで、」
そう言う姉ちゃんに女が小さく言った。
「あたし、免許持ってないんです。」
「…………。」
その言葉に場がシーンと静まり返る。
「だから、車は必要ありません。
大学までのバスも調べてあるので大丈夫です。
朝は7時半に出る予定なので、皆さんにご挨拶出来ないかもしれませんけど……」
そう淡々と話す女を俺は珍しいものを見るような目で見る。
だってそうだろ。
俺の周りにいる奴らは、18歳になれば我先にと免許を取り、誰よりも高価な車を乗り回す事をステイタスとしている奴らしかいない。
女だってそうだ。
大した自分で運転する訳でもねーのに、愛車を見せびらかすためだけに大学に乗ってくる。
ブランドバッグや靴と同じように、車も女たちにとってはただのお飾りだ。
そんな中、免許も持っていないとは驚きだ。
そこまで困窮してるのか?
ババァもそれを心配したのか、
「つくしさん、失礼なこと聞いてごめんなさい。もしかして免許は経済的な理由で?」
と、聞くと、
「あっ、違うんです!」
と、女が今日初めて笑顔を見せて言った。
「高校卒業した時に直ぐに取りに行けば良かったんですけど、あたし結構な運動音痴で……。
車で事故でも起こしたら大変だから、就職して必要になった時に取りに行こうかと、」
すると、その言葉を聞いて会長が、
「エクセレント!」
と、嬉しそうに手を叩く。
「つくしさんのそういう考え方、素晴らしい。
必要も無いのに無駄に乗り回して事故る奴もいるからね〜。」
と、嫌味のように俺を見る会長。
そして言った。
「じゃあ、こうしましょう。
朝の登校時は、司とつくしさんは一緒に車で行く。
帰りは終わる時間も違うと思うで各々で帰宅する。
どうかね?」
「あ?」
「え?」
俺と女の戸惑った声が重なる。
それを無視して、会長が言った。
「よし、それで決まり。
なんだか、楽しい日々になりそうだね〜。」
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