胸ポケットから電話を取り出すと牧野からだった。
この時間に俺がパーティーに出ているのは知っている。パーティーが終わったら2人で過ごそうと約束し、このホテルの近くにあるカフェで待たせていた。
そんな牧野からメールでもなく電話がかかってくるなんて、余程急ぎで何かを伝えたいのだろうか。
「もしもし。」
小声で電話に出る俺に、
「道明寺、忙しい時にごめんっ。」
と、牧野は申し訳なさそうに言う。
「おう、どーした?」
パーティー会場は張社長の母親の件で騒然としたまま。
そこから抜け出すように俺はゆっくりと輪から離れようとした時、牧野が言った。
「あのね、ちょっと聞きたいんだけど……、張社長のお母様って日本に来てるって情報入ってない?」
「あ?」
このタイミングで牧野からその話題が出るとは思わなかった。
「おまえ、なんで知ってる?」
「いやぁ、間違えてるかもしれないんだけど…、」
なかなかその先を言わない牧野。
「誰から聞いた?」
「それがね、今あたしの目の前にいる人がお母様じゃないかなーと思って。」
その言葉に、思わずでかい声が出る。
「おまえ、張社長の母親と一緒にいるのか?!」
パーティーの参加者が一斉に俺の方へ視線を向ける。
「いやっ、分からないのっ!
でも、写真で見た顔と同じだし、話す言葉は中国語だから、そうじゃないかと思って。」
「牧野、このまま電話を切らずに、写真送ってくれ、」
「うん。」
数秒後、スピーカーフォンにした俺の携帯に1枚の写真が送られてきた。
そこには、ココアのようなものを両手で大事そうに飲む白髪の老人がいる。
それを張社長に見せると、
「間違いないっ、私の母です。」
と、胸に手を置きながら安堵したように座り込む。
「牧野、張社長の母親で間違いないようだ。どうしてそこに?」
「あたしがカフェで休んでたら、カフェの前を何度も行ったり来たりしてる人がいたの。
真冬なのにコートも着てないし、様子がおかしかったから声をかけにお店を出たら、その顔に見覚えがあって。」
「おまえ、会ったことあるのか?」
「ううん、以前、張社長に写真を見せてもらったじゃない。それを覚えてたから。」
飲み会の時に酔った社長が俺たちに携帯の画像を見せていた。そんな一瞬の出来事を覚えていたということか。
「サンキュー、牧野。このまま母親を連れてホテルまで来れるか?」
「分かった。あっ、でも、」
牧野の声が少し曇る。
それに反応して、張社長も不安げに電話を見つめる。
すると、牧野が困ったように言った。
「お母様、ココアが気に入ったみたいなの。もう一杯注文したから、それを飲んでからでもいい?」
その言葉に、会場中がほっとした笑いに包まれた。
……………………
30分後、牧野と母親が会場に現れた。
「ママっ、心配したんだよ、勝手にホテルを抜け出しちゃダメじゃないかっ!」
母親に駆け寄る張社長。
その様子から、母親の認知症はだいぶ深刻なようで、張社長のこともきっと息子だと認識していないだろう。
「牧野さんっ、本当にありがとう!」
「いえっ、私はたまたまお見かけしただけなので、」
そう言って、俺に口だけ動かして、
『何かあったの?』と聞く牧野。
「ホテルから一人で抜け出して、今探してたところなんだ。」
「えっ!」
「警察よりもおまえの方が早く見つけてたって訳。」
「牧野さん、よく私の母だって分かりましたね?」
「えー、まぁ、顔と名前覚えるの得意なんです。それしか、あたし取り柄がなくて……」
困ったように笑ってみせる姿に、張社長にもようやく笑みが漏れる。
「牧野、おまえ上着は?」
「あ、お母様に貸したの。」
確かに、母親が着ているのは牧野のコートだ。何も着ずにホテルから抜け出してきた母親に、自分のコートを貸してここまで歩いてきたのか。
牧野の手を取って握ると真っ赤で冷たい。
「バカっ、すげぇ、つめてぇ。」
「大丈夫。」
「牧野さんっ、コートお返ししますっ!」
そう言って母親からコートを脱がせようと張社長がすると、
「あっ、ダメです!」
と、牧野が言う。
「え?」
「お母様、かなり薄着なので……」
そう言って牧野がコートの下から出ている母親の足元に視線を移す。
確かに、母親が着ているのはパジャマのようでかなり薄い。
ここでコートを脱がすのはやめておいた方がいい。
「あたしはこれで失礼しますっ。」
牧野がそう言ってくるりと後ろをむく。
その手を掴んで俺は言った。
「これ着て、下で待ってろ、すぐに行く。」
俺のスーツの上着を牧野に着せてやる。
その行動に周囲が一瞬ハッとしたのが分かる。
「道明寺、大丈夫だからっ」
「おまえが良くても俺が困る。風邪ひかせる訳にいかねーだろ。」
そこまで言うと、みんな分かったようだ。俺と牧野の関係を。
さっきまで俺に取り入ろうとしていた女たちが、訝しげに牧野をちらりと見る。
すると、
今日の主催者である会長がババァに聞いた。
「もしかして彼女は、司くんの?」
ババァが何かおかしなことを言う前に俺が……と思ったが、ババァの一言がその場のみんなを黙らせた。
「手間が省けてよかったわ。
近いうちに皆さんにご紹介しようと思っていたんです。
こちらが司のフィアンセの牧野つくしさん。道明寺家の未来の可愛いお嫁さんよ。」
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