週が明けた月曜日。
あたしと専務の噂はまたたく間に社員に広がっていた。
出勤時にはジロジロと見られ、エレベーターに乗り込めばヒソヒソと話される。
予想はしていたけれど、さすがにキツい。
でも、専務の言葉を思い出す。
『ありのままで。』
そう、何も後ろめたいことは無いのだ。
あたしらしく、今まで通りやればいい。
そう思っていたのに、
先輩と外にランチに行ったあと、オフィスに戻るエレベーターの中で、
「牧野さんって、同棲してる彼氏いなかった?」
と、後ろから声をかけられた。
振り向くと、総務部の女子社員4人組。
社内ではかなり目立つグループだ。
「彼氏と別れて専務に乗り換えたってこと?」
「っ!」
「大人しそうに見えて、男好きなのね〜。そういうことには積極的なんだ。」
「……」
「どうやって口説いたの?教えてよ。
私も専務に同じように声かけるから。
あなたが別れたら、次は私が付き合えるかも。」
そう言って笑いながらあたしを見る目が冷たく光る。
言われることは予想していたこと。だけど、実際に起こると何も言い返せないものだ。
13階の総務課にたどり着くと、あたし達を押しのけるようにして彼女たちが降りていく。
それを黙って見つめていたあたしに、先輩がポツリと言った。
「牧野ちゃん、見本見せてあげるわ。」
先輩はあたしの手を取り、彼女たちを追ってエレベーターを降りた。
そして、
「待ちなさいよっ。」
と、叫ぶ。
「随分失礼な事言ってくれるわね。」
「え、なに?」
「牧野ちゃんに謝って。」
「はぁ?」
「言葉遣いも発想も、全てが下品な人達ね。あんた達を専務が選ぶと思う?
目の端にも入らないわよっ!」
「っ!呆れた…どっちが下品よ。どうせ色目を使って専務に近付いた癖に。」
「ちょっと!」
怒鳴る先輩に、
「先輩、もうやめてください!」
と、止めに入るあたし。
そんなあたしを見て、先輩が言う。
「牧野ちゃん、悔しくないの?誤解されて。
この人たちに言ってやりなよ!
専務から何度も告白されて、家にまで押しかけられてたって事。」
「え?」
「私、見たの。
牧野ちゃんが熱出して珍しく会社を3日も休んだ日。
お見舞いにマンションまで行ったら、牧野ちゃんちの玄関に専務が立ってた。
『早く元気になれ』って頭を撫でて帰っていくところ。」
「えっーー。」
そんな所を見られていたなんて全然知らなかったし、先輩も今まで一言も聞いてこなかった。
「それからずーっと、2人のことを見てきたけど、一生懸命秘書として境界線を張ろうとしている牧野ちゃんに、専務が何度もトライしてその線を飛び越えようとしてきた。
口説いた?色目を使った?ふざけないでよ、専務はそんな事で落ちたりしないからっ!」
先輩が精一杯睨みつけて言い放つと、総務課の女子社員たちもバツが悪そうに下を向く。
「最後にもう一つだけ言っておくわ。
牧野ちゃんに同棲してる彼氏がいるっていうあの噂、あれ流したの私。
牧野ちゃんに変な虫が寄ってこないように、そう言って男たちを近寄らせないようにしてたの。
ね?牧野ちゃん。」
「うっ、はい。」
「今まで彼氏いたことあったっけ?」
「…ないです。」
「専務が初めてよね。」
「……。」
小さくコクンと頷くあたしを見て、
クスっと笑いながら、
「そういうことだから、恋愛に関しては立ち上がったばかりの小鹿ちゃんな訳よ。あんまり苛めないであげてくれる?」
と、女子社員に向かって凄んでみせる先輩。
「行くよ、牧野ちゃん。」
「…は、はいっ!」
エレベーターに乗り込んで、秘書課ボタンを押したあと、先輩が言った。
「次からは今のをお手本に、自分で対応するように。」
…………………
専務の堂々とした立ち振る舞いか、それとも先輩の胸のすくような口調が効いたのか、
あたしと専務の噂は1ヶ月をすぎた頃にはほとんど無くなっていた。
「専務、来週は出張ですよね?」
あたしの部屋で寛ぐ専務にそう聞くと、
「仕事モードはオフだろ?」
と、ついつい敬語になってしまうあたしにそう言いながら、身体を引き寄せる。
「来週は会えねーな。」
「久々のNYだから、西田さんスケジュール詰め込んでたね。」
「ああ、俺に仕事させすぎだろ。」
「ふふふ…秘書課のみんなも同じこと言ってた。」
NYでの専務の殺人的スケジュールは秘書課でも話題になっていた。
「鬼の西田ってあだ名は本当だね。」
「あいつはマジで鬼だな。
でも、それくらいのスケジュールが俺には助かる。」
「え?」
「時間が余ったら、おまえに会いたくなって仕方ねーだろ。」
「…何言ってんの。」
この人は惜しげも無く、いつも甘い言葉を吐く。
「毎日、電話する。」
「時差があるでしょ。」
「俺からの電話は、仕事中でも取れよ。
それも重要な仕事だろ。」
「ありえない…」
「んでだよ、電話に出なかったら、オフィスにかけてやる。」
「はぁー?ちょ、やめて……キャア……重い重いっ…」
あたしの上に身体を乗せてくる専務。
それを跳ね除けようとするけれど、きっと
この後は、いつものように甘い時間が……と思った瞬間、
専務が言った。
「牧野、いつかは分かんねーけど、そういう生活が来るってこと、覚悟しておいて欲しい。」
「?そういう生活?」
「ああ。日本とNYとの生活。」
あたしの身体がピタリと止まる。
「遠距離ってこと?」
「だな。いずれは向こうに戻らなくちゃなんねーから。」
そうだ、そうなのだ。
専務が日本にいるのは期間限定。
いつかは戻る人なのだ。
「牧野、」
「ん?」
「遠距離でも、耐えられるよな?」
その質問に思わずクスっと笑ってしまう。
「なに笑ってんだよ。」
「だって…」
「だって?」
「耐えられるか?じゃなくて、耐えられるよな?って聞くから。」
「あ?どう違うんだよ。」
「耐えられるって事を前提で聞いてるでしょ。」
「あー、確かにな。
でもよ、俺は信じてるから。」
「ん?」
「俺たちに距離は関係ねぇって。」
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