こういう恋の始まり方 7

こういう恋の始まり方

朝礼が終わり、それぞれが席に着いてからも秘書課は専務の言葉でザワついていた。

「ねぇ、専務が日本に残るってこと?」
「NYには戻らないって事よね?」
「またあのかっこいい姿を間近で見れるの?」

女子社員たちが喜ぶ中、私1人だけが複雑な気持ちで頭を抱える。

NYに帰るとばかり思っていた。もう二度と会うこともないと思っていた。
だから、『寝てください。』なんて馬鹿なお願いも出来たのに、まさかこんな事になるなんて!

気まづいなんてもんじゃない。これから顔を合わせる度にどうやって接したら良いのだろう。
深いため息をつきながらデスクに額を付けていると、

突然後ろから「牧野さん」と名前を呼ばれた。

「はいっ。」
驚いて振り返ると、

「少しいいでしょうか?」
と、専務の秘書である西田さんが立っていた。

「えっ、私ですか?」

「はい。」

呼び出された理由が怖すぎて固まるあたしに、西田さんは少しだけクスッと笑いながら

「頼みたい仕事がありまして。」
と言った。

「仕事…ですか?」

「はい。専務からお話がありますので、ついてきてください。」

一気に眉間に皺がよるあたし。
それを見て、近くにいた秘書課の先輩が、
「牧野ちゃん、行っておいで。」と手を振る。

専務は見た目は良いけれど、神経質で横暴で俺様性格だという噂は社内でも常識だ。だから、一緒に仕事を…となると、みんな敬遠しがち。

だから、専務に再び仕事で呼ばれたあたしを、秘書課のみんなは羨望よりも心配げだ。そんなみんなの目に見つめられながら、あたしはオフィスへと連れられて行った。


オフィスに入ると、奥のデスクに専務が座っていた。
あたしと西田さんをチラッと見たあと、西田さんは頭を下げてオフィスから出ていく。

それと同時に、
「具合はどうだ?」
と、専務があたしに聞いた。

「はい、おかげさまで良くなりました。」

「あの薬、効いただろ。」

「……。」

黙るあたし。
薬はよく効いて体調は回復した。けれど、そんなプライベートな事を話すような間柄であっては良くないのだ。

「専務。日本にはどれくらい居るおつもりですか?」

「…さぁな、まだ分かんねぇけど」

曖昧な答え。
あたしは西田さんが出ていったオフィスの扉をチラッと確認したあと、専務を真っ直ぐに見つめて言った。

「専務のために言わせて頂きます。
今後は仕事の事以外の会話は控えさせてください。」

「あ?」

「職場の人に誤解されると困りますし。」

「クス…誤解?どんな?
俺とおまえがホテ……」

「専務っ!」

慌て専務の言葉を遮るあたしに、この人は仕事の時には見せないような笑顔で、
「そんなでけぇ声出したら西田が来るぞ。」
と、さも楽しそうに言う。

「専務、人の話聞いてます?
あたし、専務がNYに帰るとばかり思ってたから、あんな事しちゃったけど、まさか日本に留まるなんて…はぁ、
とにかくっ、仕事はこれまで通りしっかりやらせて頂きますので、どうかあの件は無かったことにして貰えませんか?」

「あの件?」

「だからっ、……」

自分の口からホテルなんて単語を言うのは流石にキツい。

「牧野、」

「…はい。」

専務が何かを言いかけた時、コンコンと扉を叩く音がして西田さんが入ってきた。

「専務、そろそろお時間です。」

「おー、分かった。」

確かこの後は部長クラスと会議が入っていたはず。
スーツの上着を着込みながら、あたしの方へ近づいてきた専務は
数枚の書類を手渡しながら言った。

「フランスに戻ったラファエルから数日前に連絡が来た。
娘のアリーナが日本を気に入ってそのままこっちの大学に編入することになったんだ。
それで、色々世話をしてたおまえのことも気に入ったみたいで、日本にいる半年間、話し相手として見てやって欲しいと。」

「えっ、あたしがですか?」

「ああ。プライベートなことだから突っぱねてもいーんだけどよ、日本にいる間はラファエルの後継者として楓ホテルの業務提携にも携わるらしいから、無下にも断れねーんだ。」

「はぁ。」

「おまえが無理なら断る。」

「い、いえっ、そんな事したら仕事に支障が。」

「まぁ、時々話し相手になって、前みてぇに買い物に付き合ってやる程度で十分だ。頼めるか?」

「分かりました。私で出来ることがあれば。」

仕事は今まで通りきっちりと。
そこは入社してからずっと変わらないあたしのスタンス。

「日本にいる間はホテル住まいだ。
そこに連絡先も書いてあるから、一度連絡してやってくれ。」

「はい。」

専務から渡された資料に目を落とすと、そこにはフランス美人のアリーナの写真があった。

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