メープルのスイートに入っていくと、奥の部屋にあるソファに体育座りで膝を抱えて座る牧野の姿。
俺が部屋に入ってきたことにも気付いていないようで、一心に何かを読んでいる。
近づいて見てみると、それは各社のスポーツ紙らしい。
俺と牧野の記事か。
「牧野。」
俺がそっと呼び掛けると、
「おっつ、ビックリした!」
慌てて新聞をたたむこいつ。
俺は牧野の隣にドカッと腰をおろすと、
「なにかルームサービスでも頼むか?」
と聞いてやる。
「ううん。食べてから来たから大丈夫。
それにね、コンビニでデザートも買ってきちゃった!プリンとね、ゼリーと…………。」
いつもより早口でよく喋るときのこいつは要注意だ。
俺は隣に座る牧野の腕を引き寄せ、優しく抱きしめながら、
「不安か?」と聞いてみた。
「…………。」無言の牧野。
「後悔してるか?俺とまた付き合い出したこと」
「…………違う。」
「じゃあ、なんで泣きそうな顔してる?」
「…………だって、道明寺こそ無理してない?」
「なんだよ、無理って。」
「新聞に……書いてあった。
どこかのお嬢様と縁談の話も出てるって。」
「ふざけんなっ。デタラメだ。
そんな話は1度もねぇし、あっても受ける気なんてサラサラねーよ。
それに、……今日ババァにも報告した。
おまえと真剣に交際してるって。
反対どころか、相変わらずおまえの味方だってよ。どっちが血の繋がった子供なんだってっ」
「えっ!お母様にも言ったの!」
「ああ。だから今度はおまえのご両親に挨拶に行く。」
「ちょっ!待ってよ!そんな急にっ。
結婚するわけでもないのに、挨拶なんてっ。」
「俺はするつもりだ。」
「…………は?えっ!」
俺の腕の中から抜け出してまっすぐに見つめてくる牧野に
「俺はおまえと結婚するつもりだ。」
もう一度はっきりと言ってやる。
「…………あたしは…………」
「いい。分かってる。
…………おまえが結婚まで考えてないっつーことは分かってる。
けど、俺はおまえと結婚してーと思ってる。」
「…………」
それでも無言の牧野に、
「……シャワー入ってくる。
俺はあっちの部屋使うから、おまえはここ使え。」
スイートの反対側の部屋を指差して言うと、
小さく牧野が頷いた。
そう、分かってたことだ。
おまえの想いと俺の想いは、だいぶ距離があるってことも。
けど、少しだけ期待してたのかもしれねぇ。
おまえが俺との未来を考えてるってことに。
メープルのスイートルームは、
左右に広いプライベートルームが二つあり、1つは牧野が使っている。
そして、もう一つの部屋に俺は入ると、ソファにスーツの上着と、ネクタイを放り投げた。
そしてそのまま熱いシャワーを浴びようとバスルームに向かった。
バスルームの鏡の前でワイシャツを脱ぎ捨て、鏡に写る自分を眺めながら、
『情けねぇ顔をすんなよ』と自分に言い聞かせる。
牧野に「俺はおまえと結婚するつもりだ。」と言っておきながら、あいつの返事が怖くて、
「おまえはどうなんだ?」と聞けねぇ俺。
頭をワシャワシャとかき混ぜながら、深くため息をつくと、俺はシャワーに入るためズボンのベルトに手をかけたそのとき、バスルームの扉の向こうからドタバタと音がした。
なんだ?と思った瞬間、
「道明寺!」と牧野の声と同時にバスルームの扉が開いた。
突然入ってきた牧野と、上半身裸の俺が見つめあう。
この状況に、
「あっ!ごめんっ!」
そう言って慌ててバスルームを出ていこうとする牧野。
俺はその牧野の腕を寸でのところで掴み、
「どうした、なにがあった?」と聞いた。
腕を掴まれた牧野は逃げることも出来ず、顔を伏せながら、
「……今、進から電話があって……今日の昼、
実家にまで記者の人が来てたって。
もう完全にバレちゃってるみたい……。」
眉間にシワを寄せ、困った顔で言う。
俺はズボンのポケットから携帯を取り出すと、西田にコールした。
その間も左手では牧野の腕を掴んだままで。
「西田か、俺だ。
昼に頼んでおいた件はどうなった?
……ああ、…………わかった。……サンキュ。」
西田との会話を終えると、
「実家のことは心配いらねぇ。
俺の方で昼過ぎにSPを行かせたから、記者はもういねーよ。しばらくSPに見張らせる。だから心配すんな。」
そう牧野の目を見て言ってやるが、なぜかこいつは俺と目を合わせることなく、俺の肩あたりを見つめている。
「牧野?」
俺がそう呼び掛けると、牧野はゆっくりと俺に掴まれていねえ方の手を持ち上げ、ふいに俺の鎖骨あたりを指でなぞった。
突然の行動にビビったのと同時に、牧野の指の柔らかな感触にぞわりとする。
「牧野?」
もう一度俺が呼び掛けると、俺の方に視線を合わせた牧野が急に顔をくしゃっと歪ませて、目にジワッと涙を滲ませ、
「これ、どうしたの?」
と小さく呟いた。
牧野が指でゆっくりとなぞっているのは、俺の鎖骨下にあるタトゥー。
何も言わねぇ俺に、
「いつ?いつこんなことしたの?」
独り言のような小さな声で牧野が聞いてくる。
「…………おまえとわかれてすぐ。」
俺の返事に目をでかくして、
「なんでっ!…………ほんとバカ。」と牧野が言う。
「これは俺のおまえへの誓いだ。
おまえと別れてめちゃくちゃ後悔した。
そして、はっきり分かったんだよ。
二度と会えねぇかもしれねーけど、俺が愛してるのはおまえしかいねーって。」
「バカ、ほんとにバカ。…………痛かった?」
「痛くねーよ。……おまえの方が痛かっただろ。
…………裏切るようなことしてごめんな。」
6年前、牧野の心をズタズタに痛めたあの雨の日の出来事が頭をよぎり、胸が苦しくなってくる。
そんな俺の顔を見て、首を小さく振りながら、
「あたし忘れっぽい性格だから、もうそんな昔のこと忘れたのっ。」
目に涙をためながら、いたずらっ子のように笑う牧野。
指はその間も俺のタトゥーに触れながらゆっくりと傷をいたわるように優しく撫でてくる。
「牧野、あんま触るなっ。」
「やっぱり痛い?」
「ちげーよ。…………あんまり触られると
……変な気分になってくる。」
ただでさえ上半身裸の俺だ。
そこに牧野の指で触られると理性が保てねぇ。
俺は牧野の手を掴み、俺の体から引き離すと
「部屋に戻れ」と言ってやる。
それなのに、牧野はあろうことか、頭をブンブン振り、爆弾を落としてきやがった。
「もう少し、一緒にいる。」
どう考えたっておまえがわりぃ。
好きな女と一緒にいて、体に触れられて、一緒にいたいって言われれば、我慢できる男なんているのかよっ。
「おまえが完全にわりぃからな。」
俺はそれだけ牧野の耳元で呟くと、こいつの唇を自分のそれで優しくふさいだ。

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