「牧野、俺、教師を辞める事にした。」
久しぶりに会えた週末の夜、
レストランで向かい合う牧野に、俺は思い切ってそう告げた。
「…え?…どういう事?」
困惑の表情で俺を見つめる。
「家の仕事を手伝う事になって、これ以上教師として働く事ができなくなった。」
「家の仕事?
お姉さんが継いでるって…」
「ああ。
それが、義兄の父親が倒れて…、」
今まで牧野に打ち明けていなかった家の事情。
話さないで解決出来るならそれがいいと思っていたが、結局教師を辞めるというこんな形で伝える事になっちまった。
話し終えた俺に、牧野が悲しそうな顔で
「道明寺先生、大丈夫?」
と聞いてきた。
「…ああ。自分で出した答えだから。」
そう言った後、
俺はもう一度真っ直ぐに牧野を見る。
そして、一番伝えたかった事を口にした。
「牧野。」
「ん?」
「3月で退職する事は校長にも言ってある。
完全に教師を辞めたら、親父のいるNY支社に数ヶ月行ってくる。
その後は、日本に戻ってくるか、もしかしたらそのまま向こうに残るかもしれない。
だから、……」
「だから?」
「俺と結婚しないか?」
その俺の言葉に目を大きくして驚く牧野。
「もちろん、すぐにとは言わない。
おまえの準備が整ってからでいい。
ただ、この先、俺がどこに行こうとも、おまえについて来て貰いたい。」
教師を辞めると決断してから何度も、これからの事を考えた。
牧野と別れるという選択肢は俺にはない。
遠距離だろうが、年に数回しか会えなくたって、このまま一緒に居たいという思いに迷いはない。
ただ、そうすれば牧野を犠牲にするかもしれない。
俺と同じ場所で同じ方向を向いて歩んで欲しいという願いは、牧野からも教師という仕事を取り上げる事に繋がる。
それは牧野にも伝わったんだろう。
「結婚……。
今とは全く違う世界に飛び込むって事ね…。」
そう小さく呟いた後、口をキュッと結んだ牧野。
「ああ。俺について来てくれるなら、絶対に幸せにする。
返事はゆっくり考えてくれ。」
…………
それから2ヶ月半。
俺たちは今まで通り穏やかに過ごした。
あのプロポーズがなかったかのように、牧野はその事に触れなかった。
俺も、心の奥底にある早る気持ちを抑えながら、牧野を焦らす事なくひたすらこいつが口を開くのを待っていた。
そうして、3月に入った最初の週末。
牧野に誘われて、何度もボランティア部で清掃をしたあの河川敷を2人で歩いている時、
「道明寺先生。」
と、少し震える声で牧野が言った。
「ん?」
「お話があります。」
「ああ。答えが出たか?」
「…うん。」
頷く牧野の腕を取り、河川敷の芝生の上に腰を下ろす。
すると、牧野が真っ直ぐに俺を見つめて言った。
「道明寺先生、……ごめんなさい。」
「謝んじゃねぇよ。」
そう言いながら、迂闊にも涙腺が緩みそうになり慌てて空を見上げる。
「プロポーズ、本当に嬉しかった。
あたしには一生に一度の事かもしれなくて、幸せで泣きそうになった。
でも、…あたしには、今の暮らしが性に合ってて、教師という仕事が好きなの。
道明寺先生について行ったら、凄く幸せで凄く充実した世界が待ってると分かってる。でも、……そこはあたしの居場所じゃない気がする。」
最後の言葉は完全に震える声だった。
「…バカっ、そんな顔すんな。泣かせたくてプロポーズしたんじゃねーよ。
…俺だって分かってる。おまえにとって教師って仕事が天職なのは。そこに惚れたのに、それを取り上げる訳にはいかねーよな?」
牧野からの返事を待っていた2ヶ月半、長かったが俺にとっては冷静になれるいい時間だった。
幸せにするとは言ったが、もし牧野が俺について来てくれても、本当に牧野は心から幸せと感じるだろうか。
そんな事を考えていると、
牧野が出す答えは予想が付いていたのだ。
穏やかに過ぎて行った2ヶ月半は、まるで最後の時間を大切に過ごすかのように、お互いを想いあった。
別れの時がゆっくりと近付いて来ている事をお互い知りながら、その事に触れずに笑い合って過ごした。
その思い出だけで十分だと感じるほどに。
「再来週に学校を辞めたら、すぐに海外に?」
「ああ。とりあえず3ヶ月は行ってくる。」
「道明寺先生、あたしたち…、」
そろそろ日が暮れ始め、辺りが薄暗くなってきた。
良かった。
真昼間の明るい時なら、今の情けねぇ顔を見られていたかもしれない。
「牧野、はっきり言っていいぞ。」
「え?」
「おまえから言ってくれ。」
「…うん。
道明寺先生、あたしたち、ここで別れよう。」
「…ああ、分かった。」
俺との未来が描けなかった牧野と、
新しい世界に牧野を連れて行く勇気が持てなかった俺は、
幸せだった日々を思い出にして、
別々の世界へ歩き出した。
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コメント
やだっ
やだぁーーっ
別れないでーーーーー!