椿さんに手を握られながら、連れてこられたのは楓社長のプライベート部屋。
白と黒を基調にした落ち着いた雰囲気のそこは、思ったよりも温かみがあって、意外にも女性らしい飾り付けなどが施されていた。
「そこに座ってて下さる?
私は着替えてくるわ。」
そう言って奥の部屋に入っていく社長。
「つくしちゃん、座りましょ。
……心配しないで。
あたしは司とつくしちゃんの見方よ。」
そう言いながら綺麗にウインクをして見せる椿さんのおかげで、少しだけ肩の力が抜けてくる。
着替えから戻ってきた社長の手には一本のワインが。
「うるさい男も追い出したから、ワインでも開けましょ。」
そう言ってワイングラスに注いでいく。
「乾杯」と軽く重なる3つのグラス。
それが、これから始まる未知の時間のゴングなのだとあたしは思った。
「牧野さん。
あなたのことはすべて調べさせて貰ったわ。
生まれた病院から、現在のことまで。
結論から言わせてもらうと、
すべてが司と不釣り合いね。」
その言葉に、予想していたはずなのにジワッと涙が滲み、慌てて口許を引き締めて堪える。
「あの子は昔から、ダメだということばかり興味をもって、しちゃいけないと言うことばかりしてきたわ。
何度叱って軌道修正させても、結局は戻ってしまう。
恋愛もそんな悪い癖が出たのね。」
「お母様。」
椿さんが静かに声を挟んでくれるけれど、社長はそのままあたしを見つめて聞いてきた。
「もし、司と別れてくれるならひとつだけあなたの願いを叶えると言ったら、あなたは何を要求する?
正直に言ってもらって結構よ。
司との別れがあなたにとって一番の幸せだったと思って欲しいから」
自分でも酷い母親だと思わずにいられない。
息子が愛した女性に、こんな酷なことを聞くなんて。
彼女の漆黒の大きな瞳はユラユラと揺れ、今にも溢れそうな雫を抱えている。
『司と別れてくれるならあなたの願いをひとつだけ叶える。』
隣に座る椿が、その言葉にハッと息を呑むのが分かる。そして、自分が言われたかのように辛そうな顔で下を向いた。
「もう一杯いかが?
ゆっくり飲みながら答えを出してもらって構わないわ。」
そう言って彼女のグラスにワインを注ぎながら、この子がどんな要求をしてくるのか……と考える私の前で、
ワインをぐいっと一気に飲んだ彼女が、まっすぐに私を見て言った。
「道明寺を捨ててください。」
「……え?」
予想もしてなかったその言葉に驚いて聞き返す。
「私の望みは、道明寺司とこの先ずっと一緒にいることです。
ですから、道明寺と親子の縁を切って下さいっ」
「つくしちゃん?」
私と同様、驚きを隠せない椿が聞き返す。
「あたしは生まれたときから大金持ちで、道明寺財閥の一人息子で、こんな大きなお屋敷に住む道明寺司なんて、ハッキリ言ってめんどくさいんですっ。」
彼女のその言葉に思わずプッ……と吹き出す椿。
「もちろん、会社で仕事をバリバリしてる道明寺はどこから見ても格好いいですけど、
あたしの大好きな道明寺は、もっと違います。
狭いあたしのマンションでゴロゴロ過ごしたり、お金をかけない公園デートを楽しんだり、寒い日は鍋が食べたいって、夜中にわがまま言って買い物に行ったり、
あたしは、何の肩書きを持たなくても、そのままの道明寺司が好きなんです。
だから、もしひとつだけあたしの願いを叶えてくれるなら、道明寺を手離して下さい。
そうすれば、私も社長のお望み通り道明寺とは別れます。」
「それでは、あなたの利益は一つもないわよ?
司も道明寺を捨てて、あなたも司を失う。」
「はい。
それでも、あたしは……運命を信じてます。
今までのあたしたちがそうだったように、何年、何十年後かもしれないけど、いつの日か運命を信じて道明寺との再会を待ちます。」
「つくしちゃん…………。」
「本当に何もいらないのね?」
「はい。
私はお金も地位も名誉も興味がありません。
そして、道明寺にもそれを望みません。」
私の目を見てきっぱり言う彼女。
お金も地位も名誉も……いらない。
ああ、そうか。
私は目の前に座る彼女を見つめながら思う。
司の嫁には、お金も地位も名誉も持ち合わせた女性がいいとついこの間まで思っていた。
それは、そういう環境で育った女性なら、お金や名誉に執着があまりないと思っていたから。
けれど、そうじゃないのかもしれない。
自分の地位や名誉に執着がなくても、司の地位や名誉まで要らないと言い切れる女はいるだろうか。
この子のように、丸裸の司を欲しいと言い切るほど、息子を愛してくれる女性はいるだろうか。
そんなことを考えていると、
「でもなぁ~~」
となんとも腑抜けた声を出す彼女。
「あたしが良くても、道明寺が嫌ですよね。
あたしと一緒になるために、仕事もお金もこの家も手放してって言ったら、どんな顔するだろう。即効、あたし振られちゃうかもしれないですぅ」
そう話しながら、またグラスをあける彼女。
「つくしちゃん、もうやめといたら?
お酒あんまり強くないんじゃない?」
椿が止めるのも無視して、
「このワイン、すごく飲みやすいですね。
あたし、お酒は2杯が限界なんですけど、このワインならいくらでもいけちゃいそう。」
そう話すこの子は、自覚してる通り、ワインも2杯が限界らしい。
この状況で酔いが回るなんて……と可笑しくなってしまう。
「好きなだけ飲んだらいいわ。」
「はい、社長も。」
人懐っこい笑みでニコッと笑いながら私のグラスにワインを注ぐ彼女。
今ごろ司はヤキモキしてるだろうと考えるだけで、今日のお酒はいつもより倍美味しい。

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