牧野の父親の転勤が2週間後に迫ったある日、
「週末の夜、うちに来ない?」
と、牧野が誘ってきた。
聞けば、牧野の母親が、転勤前に一緒に食事をしようと言っているらしい。
断る理由はひとつもない。
高校生の頃は牧野から交際の承諾を得るために、何度か牧野の家に押し掛けた記憶があるが、付き合ってからは家の前まで送る事はあっても中へ入る事は殆どなかった。
だから、両親に会うのは久しぶりかもしれない。
約束の日、牧野家の玄関のチャイムを鳴らすと、牧野ではなく満面の笑みの両親と弟が出迎えてくれた。
「どうぞどうぞ〜。」
「お邪魔します。……つくしさんは?」
「あっ、あの子、今おつかい行ってるのよ。すぐ戻るので、どうぞ茶の間で寛いでいて。」
邸のタマの部屋に似た懐かしい雰囲気の茶の間。
テーブルの上には大きな鍋や飲み物が用意されている。
父親に勧められるまま座布団の上に座ると、すぐにグラスにビールが注がれた。
「あっ、俺は…、」
そう言いかけた時、
「ただいま!」と、牧野の声がしてドタバタと茶の間に入ってきたこいつ。
そして、俺と父親を見るなり、
「だから、ダメだってパパ!」
と、怒り始める。
何がどうなってるのか分からない俺。
「道明寺、飲んだの?」
「あ?」
「ビール、飲んじゃった?」
「いや。」
「良かった。今、炭酸水買ってきたからこれ飲んで。
パパ、道明寺はお酒は飲まないの!あたしが居ないところでこっそり勧めないでよね!」
ビニール袋から取り出した炭酸水を牧野から受け取った俺は、ようやく状況が飲み込める。
もちろん20歳を過ぎている俺は酒を飲んでも問題ないのだが、ババァと約束しちまった事がある。
『学生の間は酒を口にしない。』
道明寺ホールディングスで正式に働くまでは修行の身。
不祥事はもちろんご法度だし、酒やギャンブルに溺れて汚名が付くのは許されない。
だから、きちんと一人前だと認められるまでは、酒は口にしないと約束した。
それを牧野も知っていて、慌てていつも俺が飲んでいる炭酸水を買いに行ってくれたんだろう。
「すみません。」
牧野の父親に頭を下げる俺に、
「なんで道明寺が謝るのよっ。パパにちゃんと説明したのに、男同士の秘密にするから今日くらいいいだろうなんて言い出して。」
俺の前にあるビールが入ったグラスを父親に渡す牧野は、小さくごめんね、と俺に呟きながら隣に座る。
ここが実家じゃなきゃ、いつものようにこいつの頭を撫でて引き寄せるのに…、
そんな事を思いながら、今はグッと抑えて炭酸水を口にした。
鍋を囲み夕食が始まった。
腹が空いていた俺は、久しぶりの庶民の味を思う存分堪能。
それを見ながら、牧野の父親は酒が進むらしく、もうビールを3缶空けてかなり酔ってきている。
「パパ、もうお酒はそこまでね。」
そう言って、牧野と母親はテーブルの上の食べ終わった食器を片付け始めた。
それを見て、俺も1番大きな鍋をキッチンへと運ぼうとした時、
「いいの、いいの、道明寺さんは座ってて。」
と、強引に母親に座らされる。
すると、そんな俺に、
「道明寺さん、少し外で風に当たってきましょうか。」
と、父親が言った。
夜風がだいぶ冷たくなって来た季節。
玄関の階段に並んで座り夜空を見上げる俺に父親が言う。
「道明寺さんとつくしが仲良くしているのを見て安心しました。」
「…はい。仲良くやってます。」
「男勝りで困らせてませんか?」
「そういう所も好きなので。」
素直にそう答えると、俺を見てにっこり笑う父親。
「転勤が決まった時、単身赴任でもいいかなと思ったんです。でも、つくしも20歳になったし、そろそろ子離れしなきゃいけないねと妻とも話して、家族で行くことにしました。
つくしを置いて行くことに不安もありますけど、道明寺さんがそばに居てくれると思うと安心です。」
ポツリポツリと話す父親。
仲がいい牧野家だけに、娘と離れる事は寂しいだろう。
「つくしさんの事は俺が守ります。」
咄嗟に出た言葉に、
「…なんだか、嫁に出すみたいだな。」
と、父親が俺を睨む。
「いやっ、そう言うつもりではっ。」
「嫁に欲しくないと?」
「いやっ、それも違いますっ。」
慌てる俺に、父親がガハハと笑い出す。
どうやら、やっぱりかなり酔ってるらしい。
「道明寺さん、とにかく、つくしを頼みます。」
「はい。」
「でも、」
「でも?」
「一人暮らしだからと、同棲まがいの事は許しませんからね!」
そう冗談のように言って、笑いながら俺の肩を抱く父親。
その手の力が思いっきり強くて、
俺は苦笑いをした。

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