薄々、気付いていた。
司様の様子がこのところ何か違うな……と。
「充電してくる」
そう言ってオフィスを出た司様。
10分経っても戻ってこないので携帯に連絡したけれど、相変わらず都合の悪いときは無視される。
煙草でも吸いにいったのかと様子を見に行こうと部屋を出たところで、何やら司様と女性の言い争う声がする。
慌てて(本人談)、声のするエレベーターへと向かうと、司様と確か…………総務課の牧野さん。
バカだの、アホだの、クルクルパー……だの。
終いにはエロおやじっ。
自分の耳を疑ったけれど、支社長の顔を見て納得した。
司様につかえて5年目、はじめてみるような甘い顔。何を言われても優しく笑う司様の口元が、少しツヤツヤしている。
牧野さんのリップが移ってしまったのか……。
エロおやじと怒られる理由がエレベーター内であったんだろうと悟った私は、このまま二人で昼食を取るという支社長に向けて、一つだけお願いをした。
「支社長、エロおやじと言われるようなことはお止めください。セクハラ問題になりますので。」
司様のことは、もう小さな時から知っている。
元々、楓社長にお仕えしていた私は、度々邸にも顔をだすことがあり、幼くて可愛かった幼少期から荒れ狂ってタマさんを困らせていた高校期までそれとなく見守ってきた。
そして、4年前司様がNYに渡米した際、楓社長から司様の秘書を申し受けた。
最初ははっきり言って、司様には絶対に言えないけれど、『こんな小僧』となめてたところがあった。
でも共に仕事をしていくなかで、この方の天才的なビジネスセンスに惹かれ、市場を見極める勘の良さに惚れ、いつしか小僧だった支社長を尊敬していくようになった。
支社長を知れば知るほど不思議なことがある。
それは、容姿も端麗で、仕事も出来る……そんな男が全く女性の気配を感じさせない。
まさか、同性愛……なんてバカなこと疑ったこともあったけど、この支社長に限ってありえない。
現に、一度だけ支社長に女性のことで頼まれたことがあった。
それは、4年前。
あのNYで大々的に停電が発生した大雨の日。
夜11時を回った頃、支社長から電話が入り、
『頼まれごとをしてほしい。』
と言われたことがある。
事情を聞くと、女性ものの靴を新しく用意してほしいという内容だった。
サイズは23センチで3センチヒールの黒のパンプス。
上質なものを朝までに……と。
その依頼に、いつも椿様がはかれている靴を専属に作っている職人に頼み、至急作らせた記憶がある。
出来上がった靴を渡しに司様の部屋まで行くと、
『サンキュ。
西田、わりぃ、午前中の仕事少しだけ遅れるかもしれねぇ。あとで連絡する。』
そう話しながら靴を受け取る支社長の顔が、とても優しくて、その時はじめて思った。
『支社長は、好きな女性の前ではこんな柔らかい表情をされるんだ』と。
でも、それから4年、支社長がそんな表情を見せたのはその時一度きりだった。
それが、つい数ヵ月前、私は目を釘付けにされる光景を目にした。
支社長室のデスクを入れ換えた際、その場にたまたま居合わせた牧野さんが、そのデスクを見て
『素敵……』と呟くのを見て、支社長が
『だろ?』と笑ったその顔が、あの時を思わせるほど……優しかったのだ。
だからか、今日、支社長が充電してくると言った後、牧野さんと共にいるのを見て、驚く気持ちよりも、何故だかほっとした自分がいる。
約束の30分。
そろそろ会議の時間だ。
支社長室へと行こうとした私は、給湯室の前で立ち止まる。
「あっ、西田さん。
お昼、ご馳走になりました。
突然こんなことになり、すみません。
美味しかったです。ありがとうございました。」
「いえ、とんでもない。」
「もう、時間ですよね。
わたしも仕事に戻ります。では、失礼します。」
そう言ってペコリと頭を下げて去っていく牧野さん。
給湯室には綺麗に洗われた二人分のコーヒーカップ。
どんなに着飾って見た目を良くしても、
どんなに家柄が良くて上品でも、
今まで誰も司様の目にとまる女性はいなかったのに、
結局、蓋を開けてみれば、司様が選んだ女性はこういう方なんだなぁと思うと、自然と笑みが漏れる。
ビジネスでも、プライベートでも、
本当の『美しさ』を知っている、私のボス。
「支社長、そろそろ会議の時間です。」
「おう、用意出来てる。」
「それと、急ですが、再来週に予定してましたNYへの出張ですが、先方の都合で急きょ明後日からに変更になりました。」
「あ?ふざけんなっーーー!!」
私だって、あんな幸せそうな司様の顔を見た後に、こんな酷なことを言いたくはなかったのですよ。どうか、分かってください。

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