総務課の牧野さん 12

総務課の牧野さん

かすかな物音がして、深い眠りから目覚めると、一瞬自分がどこにいるのか分からなかった。
でも次の瞬間、ガバっとベッドの上に座り込み、頭を猛烈にグシャグシャとかき混ぜた。

デジャブ…………。
またやられた……。
部屋の隅には綺麗にハンガーにかけられた俺のスーツだけが残されている。
服も下着も靴も……姿も俺だけ。

もう一度ベッドに大の字でゴロンと横になった俺の手の先に、何かが当たった。
それはあいつの腕時計。
昨夜、すべて脱がせたあいつをユルユルと揺らしてる時に、外してない腕時計が気になって、俺が片手で外して枕のしたに置いたのをあいつは忘れていったんだろう。

その腕時計を見つめながら俺は無意識に呟いた。

「勝手に消えるんじゃねーよバカ。
俺はこういうのがトラウマなんだよっ。」


完全にデジャブ……。
違うのは、今回はタクシーに払うお金をきちんと持ってたことだけ。
あとは、今湯船に浸かってる状況まですべてが同じ。

「またやっちゃった……。」
湯船のなか、膝を立ててその上に頭を乗せたまま呟く。

消えかけてたはずの赤い痕が、更に多くなって体に刻まれていた。
太ももの内側に印されたその痕を指でなぞりながら、
「もうやめにしなくちゃ」と自分に言い聞かせる。

こんなにもあの日の一夜が尾を引くとはあの頃のあたしは思いもしなかった。

四年前。
道明寺HDに就職が決まったあたしは、新人研修という名目でNYの本社に一週間の出張をしていた。

研修もほぼ終わり、本社からすぐそばのホテルへと帰ろうとしていた夕刻。
突然の大雨に打たれてビルの軒下に入ったはいいけど、そこから身動きできない状態になった。

雨は更に強くなる。
風も出てきて、ガタガタとカフェの看板を揺らし始め、一向に収まる気配がなかった。

あたしはいつまでもここにいても止む気配のない雨を見上げて、あと数百メートル先の宿泊先のホテルへと一気に走ることを決めた。

あの角を曲がって二つ目の信号を右に入ればホテルの入口だよね……そう頭にいれて、雨の中を走り出した。
ほんの数メートル走っただけでも、あたしのスーツがべちゃべちゃになるほどの雨。
今日が研修最終日でよかった。スーツの替えは持ってきてるけど、靴がこれ一足しかないんだもん。これだけ濡れたら明日までには乾かないだろうな…………そんな事を思いながら走っていたから、よく前を見ていなかった。

ひとつ目の角を曲がろうとしたときに、同じように向こうから走りながら曲がってきた人とぶつかった。
お互い雨の中を急いでいたから、その接触はかなりの衝撃で、あたしは勢いでその場にお尻をついてしまった。

「sorry!!」

「いえっ、すみません!」
咄嗟に出たあたしの日本語。

「もしかして日本人か?」

「えっ、……はい。」

それがあたしと支社長のはじめての出会いだった。

ぶつかった衝撃で転んでしまったあたしは、スーツもめちゃめちゃだったし、靴のヒールも折れてしまっていた。
手を貸してくれた支社長に支えられながらなんとか立ったあたしは、
「大丈夫です。」
そう言って頭を下げたとき、突然ピカッと空が光った。

今思えば、あの光った瞬間がお互いの顔をよく見た唯一の時間だったかもしれない。

一瞬の光のあと、NYの町から……光が消えた。

「え?」

「……停電か。」

こんな大都会が一瞬にして真っ暗になり静寂に包まれる。

「どこまで行くんだ?」

「あ、えーと向こうの通りにあるホテルに泊まってるんですけど。」

そう話すあたしたちの頭上からは止めどなく大粒の雨が降り注ぎ、髪からは滴が滴るほど。

「この中じゃ無理だな。
とりあえず、俺のがすぐそこだから雨と停電が終わるまでそこで待つか?」

「…………はい。」

ズキズキとする足首と、打ち付けた腰の痛みで、いつもなら絶対にしないそんな返事が口から出た。

広い部屋にひとつだけポツンとロウソクが焚かれた中、「これしかなくてわりぃ」そう言って手渡してくれたタオルとバスローブをあたしは遠慮なくお借りした。

スーツもワイシャツもストッキングも下着も、すべてがべちゃべちゃ。
迷ったけど、全部脱いで下着は大きいタオルに隠すように包んだ。
停電が戻る頃には、タオルが水分を吸収してくれるから、そしたら着替えて帰ろう。

そう思ってたのに、あれから数時間たってもNYの街は暗いままだった。
ショートカットのあたしの髪はほとんど乾いてきたけれど、そのせいか急激に体が冷えてくる。
バスローブの中は何も身に付けていない。

膝を抱えるようにしてソファに座るあたしに、
ロウソクの灯りで仕事でもしてたんだろう彼が近付いてきて言った。

「寒いか?」

「あ、いえ、大丈夫です。」

「暖房も止まってるから冷えてきたな。
ちょっと待ってろ。」
そう言って奥に消えたあと、毛布をふたつ持ってきてくれた。

「これしかねーけど、掛けてろ。」

「ありがとうございます。」
そう普通にお礼を言っただけなのに、

「プッ……」
急に笑い出すこの人。

「何ですか?」

「いや、……おまえ学生か?旅行で来たのか?」

「違います。社会人です。」

「マジでっ?どうみても学生にしか見えねぇけど。」

「ちょっと、それ失礼なんですけどっ。
社会人一年目ですけど、これでも大卒です。」

「大卒で1年目って……俺とひとつしか違わねーじゃん。」

「えっ?ほんと?」

「ああ。マジでさっきはガキとぶつかったと思った。こっちにいると同じ年のやつらでも老けてみえるから、それに慣れてるとやっぱ日本人は若く見えるな。」

「そういうもんですか。」

「ああ。」

そんな会話をきっかけに、あたしたちは暗いNYの一室で何時間もとりとめない会話を交わした。

そして、いつのまにか疲れたあたしはソファの上で眠っていた。

コメント

  1. はれこ より:

    何回か読んだお話でも
    次は?って楽しみにしています。

  2. まりな より:

    このお話大好きです。何度も何度も繰り返し読ませていただいています。先の展開は知っているけど「ドキドキ、ニヤニヤ」が止まらないです。素敵なお話本当にありがとうございます。

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