限りなくゼロ 16

限りなくゼロ

記憶を取り戻して1ヶ月半が立とうとしていた頃、ババァがNYから一時帰国した。
ババァに会うのは半年ぶりだ。

「記憶が戻ったそうね。」

そう言われて、はじめてババァに報告してなかったことに気付く。

「ああ。思い出した。」

「そう、それは良かったわね。」

なんの感情も感じられない声で、まるでビジネスの話をしているかのようにかけられた言葉。
所詮、こいつにとって俺の記憶が戻ろうが関係ない。
そう思ったとき、ババァから一つの提案が、いや命令が下された。

「4月から向こうの大学に編入してもらいます。」
突然のことに頭が付いていかねえ。

「あ?」

「NYの大学に編入する手続きが完了したので、準備しておくように。」

「どういうことだよっ。あと1か月もねーじゃんかっ!勝手なことすんなっ!」

「あら、お忘れですか?
半年前にも話したはずよ。
そろそろ、道明寺財閥の後継者として仕事にも携わって貰わないと困ります。
それに、得なきゃいけない資格も沢山あるのよ。」

確かに、そんなことを以前も言われたような気がする。
大学卒業までの1年間はNYで仕事を手伝いながらMBAや語学、ビジネスマナーなどあらゆる教育を再教育し、完璧な状態で道明寺財閥の後継者として会社に入る。

でも、今と違ってたことは、その話をされたときは、俺の中に牧野の存在が無かったということだ。
記憶のない俺は、日本に残る未練もなかったし、ビジネス以外での将来像なんてこれっぽっちもなかった。

だけど、今は違う。
せっかく元に戻りつつある俺らの関係なのに、また離れ離れになる。
会いたくてもすぐに会える距離でもねえ。

そんなことを考え黙ってる俺に、
「そういえば、牧野さんはお元気?」
唐突にババァが聞いてきた。

ババァから牧野の名前が出るときはろくなことがねぇと分かってる俺は、視線を反らさずババァをまっすぐ睨み付ける。

「そんなに警戒しなくてもいいでしょ。
私はあなたたちの交際にもう反対していません。
むしろ、あの子は大物になるかもしれないわね。
聞いたところによると、大学では常にトップの成績で、司法試験も現役で合格すると勉強に励んでいるそうね。
もしかしたら、あの子なら国際弁護士の資格もとって、将来道明寺財閥のために尽くしてくれるかもしれないわ。」

成績トップ…………牧野がそこまでだとは思ってなかった。
英徳の法学部はかなりレベルが高い。
そこでトップということは…………。

「あなたも、負けていられないわよ。
このままだと彼女に見捨てられるかもしれない。
牧野さんに釣り合う男になるため、やるしかないわよね?」

ババァの不適な笑みには腹が立つが、確かにそうかもしれねぇ。
このままあと1年、日本でのんびり大学生活を続け卒業しても、いざビジネスの世界に入ったところで役に立たねぇことは一目瞭然だ。
NYでババァの仕事を学びながら、資格を習得しておけば、来年には少しは使い物になるだろう。

ただ、ひとつだけ後ろ髪をひかれるのは、やっぱり牧野の存在だ。
牧野に釣り合う男になりたいとは思う反面、牧野と離れて過ごすことに耐えられる自信がねぇ。

「少し考えさせてくれ。」
今はこれしか言えねぇ俺に、

「そうね、よく考えることね。」
ババァはそれだけ言って微かに笑った。

そして、ババァが1週間の滞在を終えてNYに戻る前日、あるパーティーにババァと揃って招待されていた俺は、少し遅れて会場に入った。

ホテルを貸しきって行われているそのパーティーには財界の有名人から芸能人、スポーツ選手まで幅広く招待されていて、先に会場入りしているババァを探すのにも一苦労だ。

やっと、パーティーが1時間ほど経過したところで、
「皆さんにご挨拶は済んだの?」
と、後ろからババァの声がした。

「おう、探してたんだぞ。」

「あら、そう。
私はそろそろ失礼するわ。」
まだまだ続きそうな宴なのに、もう帰り支度をはじめるババァ。

「なんだよ、もう帰るのか?
いいのかよ、天下の道明寺社長がそんな早々に抜けて。」
嫌味たらしく言ってやると、

「今日、ここに来た目的は果たしましたから、もう帰ります。
あなたはゆっくりしていって。
それと、あとで私にお礼の電話待ってるわ。」
ババァが意味のわからねぇことを言ってくる。

「あ?お礼の電話?」

「そう。バカ息子のために私がしたことを知ったら、あなたはお礼が言いたくなるはずよ。」
ますますわからねぇことを言ったババァは、軽く右手を挙げて会場をあとにした。

ババァが帰ってからしばらくして、ひとけの少ないバルコニーで夜風に当たっていると、一人の紳士がやって来た。
久しぶりに会う…………佐々倉社長だった。

「お久しぶりです。」
俺は姿勢を正して深く頭を下げたが、佐々倉社長は何も言わず俺のとなりに立った。

「佐々倉社長、」
あずさとのことをどう伝えようか……そう思ったとき、

「僕はね、残酷な父親かもしれない。」
そう佐々倉社長が話はじめた。

「え?」

「司くんがあずさと付き合ってると聞いて、とても喜んだよ。
君は優秀だしなんと言ってもかっこいい。
そんな君が私の娘を選んでくれたと思うと、ほんとに嬉しかった。
だけど、君が事故に遭って1年半、何度も同じ噂を耳にした。
『君には心から愛している女性がいた。でも、事故でその女性のことを忘れてしまった。』
最初は気の毒だと思ったが、徐々に残酷な考えが浮かんだ。
一生、思い出さなければいい。
そうすれば、あずさは司くんの側にいられる。」

静かに語る社長は、まるで独り言のようにまっすぐ夜景を見つめながら話し続けた。

「この間、あずさから聞いたよ。
君の記憶が戻ったと。そして別れたいと言われたことも。」

「…………すいません。」

「僕はね、その時娘に言ったんだ。
記憶なんて上書きすればいい。
愛だけがすべてじゃない。
このまま司くんの側にいれば、いつかは……」

そこまで言って声をつまらせる社長。

「…………社長、」

「でも、その数日後、あずさが泣いて帰ってきた。
この1年半、誰よりも司くんの側にいたはずなのに、だめだったと。
パパは愛がすべてじゃないって言ったけど、愛されてる彼女にはどうやっても敵わないと。

残酷だよ。僕は残酷な父親だ。
愛する娘に、不幸な道を選ばせるところだった。
だから、あずさのためにも別れてくれて感謝している。

ただ……一つ。」
そう言って、俺の方に目線を移した社長。

「はい?」

「あずさは本気で君を好きだったようだ。
だから、…………父親として許せないっ。」

そう言った社長は、不意打ちに思いっきり俺を殴った。
ついこの間類に殴られた時と同じ場所にヒットしたそれは、あの時よりも強烈で、社長の拳にも俺の血痕が付いた。

「申し訳ない。」
社長が小さく呟き頭を下げた。

「いえ、当然です。
こちらこそ、あずささんに申し訳ないことをしました。」

その言葉に社長の顔が和らぐ。
「一般家庭の女性だそうだね?」

「え?……あ、はい。」
牧野のことを言われたと気づき慌てて返事を返す。

「貧乏で、負けん気が強くて、ガリ勉なんだって?」
笑いながら聞いてくる社長。

「…………あー、はい。
って、どうしてそれを?」

「さっき、君のお母様、楓社長にも頭を下げられたよ。
『息子の不甲斐なさを許してやって欲しい』ってね。そして、うちの息子は趣味が悪くて、貧乏で負けん気が強くて、ガリ勉の女にしか興味がないんですって。
だから、あずささんが悪い訳じゃないですからって。
それ聞いて、なんだか気分が晴れたよ。
司くんの好みのタイプにはどう頑張ってもあずさはなれそうにないからね。」

そう言って俺の肩をポンポンと叩いて社長はその場を去っていった。

さっきババァが言ってたのはこのことか。
お礼の電話?そんなもの、しねーよっ!
その代わり、やってやるよ。

牧野のためにもババァのためにも、
NYで修業して、完璧な男になってやる。

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