「司、何してるの?」
静寂を破って聞こえたものは冷ややかな類の声だった。
「牧野になんか用?」
「…………類、話がある。」
もう逃げられない。
「わかった。むこうで聞くよ。」
そう言って類は自習室の外の廊下を示す。
類のあとについて俺も自習室を出たところで、
「類、わりぃ。
…………俺、記憶が戻った。」
そう言った俺に、
「うん。知ってた。」
そう言って振り向いた類。
「っ!なんでっ。」
「司のこと見てればわかるよ。
温泉のときには戻ってたんだろ?」
「ああ。わりぃ。」
「司、さっきから謝ってるけど、それって何に対して?
記憶が戻ったことを黙ってたから?
それとも、」
まっすぐに見つめる類に、俺も半端なことは言えねえ。
「牧野のことだ。
記憶が戻って、今までのこと全部後悔してる。
俺は、今でも、」
「司っ!おまえにそれ以上言う資格があるのか!
牧野を振り回すのも大概にしろっ!」
類の言う通りだ。
それはわかってる。
でも、どうしても……俺はあいつが欲しい。
久しぶりに牧野を近くで感じて、込み上げる想いを抑えることが出来ない自分がいた。
あずさには全く抱かなかったその感情が、愛だと今なら確信できる。
あいつのためなら、見栄もプライドもすべて捨ててもいい。
そして、大事なダチを失うのなら、せめてありったけの誠意で謝りたい。
俺は暗く冷たい廊下に膝をついた。
「類、ほんとに悪かった。
おまえのためなら牧野を手放そうかと思ったが、どうしても出来そうにない。
あいつは俺にとって運命の女だ。
だから、もう一度チャンスをくれ。
あいつにとって俺はもう過去の男かもしれねぇけど、せめて同じリングにもう一度立たせてくれ。
頼む、類。」
人に頭を下げることを知らない俺が、膝をつき深く頭を垂れた。
「すぐには返事できないね。
司、明日、俺の部屋に来てくれる?
そこで返事する。」
そう言って牧野のいる自習室に消えた類。
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次の日、類の部屋に行く前に、あずさと会う約束をした。
二人きりで会うことを躊躇った俺は、外で会おうと連絡したが、邸に行くと言ってそのまま電話を切られた。
夕食を過ぎた頃、あずさがやって来た。
「遅くなってごめん。
おいしいワイン持ってきたけど、一緒にどう?」
そう言って、赤ワインを見せるあずさ。
「いや、いい。
このあと行くとこがあるから。」
「出掛けるの?どこに?」
「…………。」
「牧野さんのとこ?」
「ちげーよ。類のとこだ。」
「類くんのとこ…………そうなんだ。
あたしも一緒に行っちゃおうかな~。」
そう言ってあずさはおどけてソファに座った。
「佐々倉、おまえときちんと話がしたい。
おまえには悪いと思ってるが、別れたい。
記憶が戻った俺は、やっぱり牧野のことが好きなんだ。
あいつが類の女でも、俺を過去の男と思っていても構わねぇ。
もう一度、手に入れたい。
だから、俺と……別れてくれ。」
そう言って、隣に座るあずさに軽く頭を下げたとき、突然強い力で肩を押された。
予期してなかったことで、咄嗟に反応が遅れた俺は、背中をソファに押し付けられるような体勢になり、その上にあずさが体を預けてくる。
「っ!」
「司、いいことしよ?」
更に体を密着させるあずさに、
「やめろ。」
俺は低い声で威嚇する。
「司には、こういう欲求はないの?
あたしたち、もう付き合ってだいぶ経つんだから、そろそろそういうことしてもいいんじゃない?
あたしはいつでもいいんだけどな~。」
「おまえとそういうことをするつもりはねえ。」
「なんでよっ、付き合ってるなら自然なことでしょ。」
「…………ああ。好きなら自然なことだし、俺も男だから抑えがきかねぇはずだ。」
「じゃあ、なんでっ、」
「佐々倉、それが答えなんだよ。」
「…………。」
「俺はおまえと何年一緒にいても、たぶん手は出さねぇ。
でも、あいつは違う。
俺は牧野といると、自分を抑えるのに必死なんだよ。少しでも気を抜くと、男の本能が出ちまう。
佐々倉、俺とおまえは男と女にはなれねぇよ。
ごめんな。もっと早く言ってやればよかったな。
ごめん。」
目に涙を溜めたあずさが、ゆっくりと俺から離れていく。
そして、何も言わずに、部屋を出ていった。
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